『安井夫人』(森鴎外) 先生と私の「読書感想文」の思ひ出

安井夫人おすすめの本と読書の話
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高校一年生の夏休み、私は『安井夫人』(森鴎外)の読書感想文を書きました。

たしか指定図書もあったはずだけれど、それが何だったは思い出せない(なんせ30年以上も前の話でして……)し、なぜこの話を選んだのかもはっきりとは覚えていません。

夏休みが終わろうとしているのにやり残した宿題が山のようにあり、本を読んでいる時間がないー。

 

よし、短編じゃ! とりあえず文豪じゃ! 文豪の短編じゃ!

 

おおかたそんなことだったと思うのです。

そんなやっつけで書きあげた「読書感想文」なのに、今でも夏が来るたびに思い出すのです。

 

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『安井夫人』はザックリとこんな話

『安井夫人』は、幕末に実在した学者、安井息軒と息軒の妻となった佐代(安井夫人)の物語です。

 

人柄はよく学もあるが、背が低くブサメンの仲平(息軒のこと)の嫁探しをしていた父は、ある娘に白羽の矢を立てる。

仲平との釣り合いを考え、容姿は並みでそう若くはないことが決め手となったのだが、あいにくその娘には縁談を断られてしまう。

 

が、その娘の妹が「自分が仲平さんに嫁ぎたい」と申し出てきた。

妹は姉と違い美人、で、もちろん若い。仲平サイドにこの縁談を断る理由はなく、話はまとまり二人は夫婦となった。この「嫁ぎたい」と申し出た娘が佐代である。

仲平はブサメンであったが学者としての能力は高く出世した。仕事のために住まいを転々し、子を授かり、佐代は生涯をまっとうしたー、という話です。

 

短い話です。青空文庫でどうぞ。

 

『安井夫人』(森 鴎外)

 

――――――――

 

全編にわたって、仲平が何の職について、どこに住んで、家族が嫁いだとか死んだとかいうことが淡々と書かれています。

仲平と佐代が夫婦喧嘩をしたとか、仲平は実は仕事でストレスがたまっていたとか、そんな俗な話はまったくない。お互いが何に喜び、何に苦悩した、というような内面の描写も少ない。

だた格調高い文章で二人の生涯が綴られています。

 

しかし、1か所だけ鴎外が佐代の生き方を語った部分があるのです。

お佐代さんは何を望んだか。世間の賢い人は夫の栄達を望んだのだと言ってしまうだろう。これを書くわたくしもそれを否定することは出来ない。しかしもし商人が資本をおろし財利をるように、お佐代さんが労苦と忍耐とを夫に提供して、まだ報酬を得ぬうちに亡くなったのだと言うなら、わたくしは不敏にしてそれに同意することが出来ない。
お佐代さんは必ずや未来に何物をか望んでいただろう。そして瞑目(めいもく)するまで、美しい目の視線は遠い、遠い所に注がれていて、あるいは自分の死を不幸だと感ずる余裕をも有せなかったのではあるまいか。その望みの対象をば、あるいは何物ともしかと弁識していなかったのではあるまいか。

<本文より引用>

一見するとお佐代さんの生き方は「古い女性の生き方」のように思えます。

が、鴎外は、お佐代さんもまた「自分の意思で自分の人生を選んだ生き方をした女性である」と捉えています。

 

この作品が書かれた当時は、平塚らいてうらによる「婦人解放運動」の真っただ中でした。

「男性に従属する生き方を捨てよう!」という「新しい女」ブームが起こっていましたが、鴎外は、お佐代さん(安井夫人)の生き方のなかにも「新しい女」がある、という思いだったのかもしれません。

 

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私と先生と『安井夫人』

高校生当時の自分が、どんな思いでこの『安井夫人』を読んだのかはほとんど覚えていません。

おそらく「なんでこの人と結婚しようと思ったのかな」とか「佐代さんは幸せだったのかな」くらいのことでしょう。

読書感想文にもそんな素直な気持ちを書き、「平塚らいてうガー」とか「婦人解放運動ガー」というような小難しいことは書かなかった、いや、書けませんでした。

 

当時の担任は国語の先生。「能」をたしなむ男性教師で、30代前半とは思えぬ常人離れした落ち着きを放っていた(つまり、かなり老けていた)人。

その先生は私の書いた読書感想文を一通り読み、赤ペンを入れ始めました。

掘り下げ足りない細部を指摘し「女性の生き方」にもっと焦点が当てるようにと指導。さすが先生です。

で、読書感想文の「締め」はこうしようと先生は言ったのです。

 

「そんな安井夫人のような生き方を、私もしたい」

 

高校生の私は、自分がこの先どう生きていくか、なんてことを真剣に考えたことはありませんでした。毎日、友だちとくだらない話をし、好きなTVを見てゴロゴロするフツーの、いや、どちらかというと自堕落な高校生でした。

将来、結婚して誰かと共に生きていくとか、どんな仕事に就くのか、なんてことを考えることなく、この高校時代がずっと続いていくかのようなフワフワした気持ちでいたのです。

 

「そんな安井夫人のような生き方を、私もしたい」という、先生の斬新な「提案兼改ざん」に若干の抵抗はありましたが、とにかく宿題を終わらせたかったので私はその通りに締めを書きました。

 

そして、その読書感想文は、のちにコンクールに出されたが、なんの賞を取ることもなく落選。

そのことに、むしろホッとしたことを思い出すのです。

 

当時はピンとこなかった安井夫人の生き方とそれを描いた鴎外、そして「そんな安井夫人のようなー」と締めくくらせたかった先生の思いが、この歳になって少しわかるようになってきた気がします。

人生にはいろいろな選択の機会があり、「自分はどうすべきか」「どうしたいのか」と向き合わなければなりません。

慣習や常識にとらわれるのはもちろん、みんながやっていることや周りに勧められることを無条件に受け入れる時代でもありません。

かといって、「自分の人生は自分で切り開く!」という思いがアグレッシブ過ぎるのには違和感があります。

「安井夫人」の生きた時代に比べ価値観も多様化した現代では、「普通」であることが「つまらない生き方」と思われてしまうこともあります。

けれども、他人には凡庸に見える生き方であっても、その人が意思をもって選んだ人生であれば「つまらない」ものではないはず。

 

先生は、そうした「たおやかな生き方」をしてほしいと思っていたのではないか。

 

そして、先生の好みの女性のタイプもそうだったのかもー。

 

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