アラフィフにもなって ”モテ” とか ”愛され” とかナニ言ってんだろ、と思いつつネットを見ていると、そこで紹介されている ”モテ” や ”愛され” の特徴がなんとも凡庸で陳腐で情けないではありませんか!
長年、女性のモテ文化を斜め後方から注視してきたワタシに言わせると、女の ”モテ” は複雑怪奇です。「いつも笑顔で、礼儀正しく、愚痴をこぼさず、体型や身だしなみにも気を使って、ちょっと天然なところもあってー」って、そりゃただのイイ人ですよ。で、恐ろしいことにアラフィフになると、このモテ条件に「経済力」が加わるという。そうなったらイイ人を超えてイイカモでは?
女のモテはファッションやメイクなどの外見だけでなく、生き方や思想も反映してきた文化なのです。
”モテ” とか ”愛され” が大量消費される今、複雑で面白い女のモテ文化をキッチリ検証し、次世代のモテを先取りしましょう。
女のモテ文化① 清楚、高根の花の時代 1950~60年代

1950~60年代は、オードリー・ヘップバーンや吉永小百合さんに代表されるような、ホントにキレイで可憐な女性がモテた時代です。
Twitterやインスタもない当時、モテ女子の様子は映画やドラマの役柄を通して知るしかありませんでした。ただでさえ美しいオードリーや吉永さんが、映画の力によってさらに盛られていた。
一般女子にとっては不遇の時代だったでしょう。
女のモテ文化② 小悪魔、フレンチロリータの時代 1960年代
(C)StudioCanall
「オードリーや小百合さんはキレイだけど現実味がないよな」と思っていたところに、海外から新たな流行がやってきます。
ジェーン・バーキンやシルヴィ・バルタン、アンナ・カリーナ<写真>、日本では加賀まりこさんのような、小悪魔的な魅力を持つ女性がモテの市場に登場するのです。

女のモテ文化③ 強い女 自立した女の時代 1970年代
Twentieth Century Fox Film Corporation / Photofest / ゲッティ イメージズ
アメリカではベトナム反戦運動が盛んになり、強い女性が脚光を浴び始めた1970年代。われわれ日本人も、のんきにイェイイェイ歌っている場合ではなくなったのです。
ウーマンリブ運動のアイコンといえばジェーン・フォンダ。映画『9時から5時まで』(1980年)<写真>では、ハラスメント上司への報復を企てるOLを痛快に演じています。
そして強い女といえば、映画『グロリア』(1980年)
マフィアに立ち向かう元情婦のジーナ・ローランズが最高にカッコイイのです。
が、ここで大問題が! 強い女や自立した女は、日本ではちっともモテなかったのです。むしろモテの対極に置かれ、自ら ”反モテ” ”嫌モテ” の狼煙(のろし)を上げて戦うようになるのです。
女のモテ文化④ ラブコメヒロインの時代 1980年代
ColumbiaPictures/Photofest/MediaVastJapan
「強い女は素敵だけど、やっぱりモテたいよね、恋愛であーだこーだしたいよね」という世の女性たちの気持ちが高まった1980年代、ラブコメヒロイン(写真はメグ・ライアン)の時代に突入します。
高根の花でもなく、小悪魔でもなく、ウーマンリブでもない、等身大のフツーの女性が泣いたり笑ったりする姿こそがモテにつながるようになるのです。
「出会いは最悪だったけど次第にー」とか「友だちとして恋愛の相談をしていた相手のことをやがてー」とか、ま、今にして思えばベタなシチュエーションのなか「電話は3日に一度くらいがちょうどいいかな」とか(メールもLINEもないっス)「偶然を装って駅で待ち伏せしようかな」とか(ストーカー!?)「酔ったフリしてボディタッチ」とか(セクハラ!?)、そんなことをせっせとやっておったワケですよ。
1980年代は、誰もがヒロインになれる、誰もがモテる時代だったのかもしれません。
女のモテ文化⑤ 自由でゴージャスなムリめの女の時代 1990年代

世の中がバブル景気でおかしくなり始めた1990年代、誰もがモテる平和な時代は終焉を迎えます。フツーの女とは明らかに一線を画すハイクオリティな女の台頭です。
時代の顔となったのは、元祖スーパーモデルの面々。
リンダ・エヴァンジェリスタ、シンディ・クロフォード、ナオミ・キャンベル、ヘレナ・クリステンセン、クリスティ・ターリントン。
美貌、ファッションセンス、金、ゴージャスな暮らし、すべてを有し、ゴシップまでもが魅力となった彼女たちがモテ文化の中心となります。
そして庶民のなかにもこうしたモテ女、ムリめの女が登場するのです。たとえ金遣いが荒かろうと、わがまま三昧だろうと、礼節をわきまえてなかろうと、知識も教養もなかろうと、モテる女はモテたんです。そういう時代だったのです。クソッ!
女のモテ文化⑥ 才能とオタク系女子の時代 2000年代

バブルが崩壊すると、手のかかるムリめな女はモテ市場から撤退を余儀なくされます。
これに変わって登場したのは、自分の世界に生きるオタク系女子、文化系女子、サブカル女子たちです。椎名林檎さんや川上未映子さんらがその代表格。
彼女たちは、モテ文化のなかに「才能」という要素をもたらしたのです。
女のモテ文化⑦ 赤裸々であざとい女の時代 2010年代

女のモテ市場はオタク系女子の活躍によって多様化し、カオス状態となります。
この混沌としたモテ市場のなか「まっとうに生きていきたい」という願いが今の「イイ人的モテ女像」(いつも笑顔で、ポジティブ思考でー)を生み出したのは不思議なことではありません。高根の花も、小悪魔も、ウーマンリブも、ラブコメヒロインも、ムリめの女も、オタクもいらん!フツーにイイ人がいい、と思うワケです。
で、「いつも笑顔で、ポジティブで」だったら、自分の努力次第でなんとかなりそうと思うワケです。
が! よーく見てごらんなさいっ。
『雨ニモマケズ』(宮沢賢治)ですか、これは! 凡人がこんなことを考えている間に、現代のモテ賢人たちはウマいことやっているんですよ。
田中みな実さんに代表される赤裸々であざとい女子。今のモテ市場の中心は間違いなく彼女たちなのです。
凡人が『雨ニモマケズ』と涙ぐましい努力してしているのを尻目に、「こんなモテテクつかってます」とか「こんな風に男を落としてます」とか「こうすると男性って嬉しいですよねっ」とか「#すっぴん」とか「#泣き顔」とか、なんでもかんでも公開して、なおかつ自分がモテ市場の中心にいることを計算高くアッピールし、そのあたりにいる男衆をゴッソリかっさらっていくのです。
「あざとい」をモテの要素にしてしまうほど貪欲で狡猾な彼女たちに宮沢賢治で勝てますか!?
女のモテ文化 次に来るモテ女像とは

女のモテを振り返ってわかることは、モテ文化は前の時代の反動によって形成されていくということです。あざとい女が好き放題にし、焼け野原となったモテ市場ではどんな反動がおこるのでしょうか。
一つの仮説ですが、人々がモテ志向に疲れ果て「もう、モテとかどうでもいい」と思うようになるのではないでしょうか。ITテクノロジーは進化し、モテとか愛されとか不確実な要素ではなく、生物学的に遺伝子学的にベストな相手がマッチングされるようになるー。
未来は、”モテ” とか ”愛され” とか考えなくてよくなるー、のかもしれません。