「も」が多いのはなぜか/プレバトに『カイロの紫のバラ』/ウディ・アレン的キャラを演じる

まんざらでもない日記

2021年4月12日

ブログの過去記事を手直ししていて、自分の文章には助詞の「も」が多いことにあらためて気づく。そして以前それを指摘されたことを思い出した。「『何』と同じく『も』なのか、その『何』を明示しなければ、読む人に負担がかかる」と。

読む人に負担って、文脈でわかるやろ、とは思ったものの、そのメディアの求めるものは、読んだ人が迷うことのない正しくてわかりやすい情報。不用意に「も」が登場してはいけなかったのだ。そのメディアの執筆をはなれてからも、しばらくは、「ここの『も』は正しく使えているだろうか」と気になっていた。が、このブログのように自分の好きに書く文章のなかにはやっぱり「も」があふれてしまうのだ。なぜだろう。

「も」にはさまざまな使い方がある。同類のものを追加してつなげるとき、強調するとき、打ち消すとき、など。「『何』を明示しろ」と指摘された同類のものを追加してつなげるときの「も」は、暗示や不明確な対象との対比でも使われるという。絶対に『何』を明示しなければー、というものでもないのだ。なるほど。

個人的な書きものには、明確でない話題や思索が多くなる。それゆえ「も」がたくさん出てくるのかもしれない。助詞って奥が深い。


助詞の使い方といえば「俳句」 TV番組『プレバト』の俳句コーナーの夏井いつきさんによる添削でも、助詞の使い方にはいつも感嘆させられる。

先日、その『プレバト』で立川志らくさんが、ウディ・アレンの映画『カイロの紫のバラ』を句に詠んだという。ちょうど所用で見ていなくて、ネットで知った次第。志らくさんが読んだのは、『春眠や「カイロの紫のバラ」よ』という句。これを夏井先生が『春眠とは「カイロの紫のバラ」か』と直し、この解説がまさに神解説だったというじゃない。映画『カイロの紫のバラ』を知らない読み手にも「『カイロの紫のバラ』って何だろう」と思わせるように、と。くーっ!見たかった。

で、そのあと『カイロの紫のバラ』ってナニ? となった視聴者がネットで検索し、このブログの映画レビューにも多数たどり着いていただいたようで、感謝です。

読む人を「迷わせない」を使命とする書きものもあれば、「なんだろう」と考えさせる書きものもある。その狭間で、私も「も」も彷徨っている。


Photography by Jessica Miglio (C)2019 Gravier Productions, Inc.


ウディ・アレンつながりでもう一つ。

ようやく映画『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』を見た。近年めっきりロマンチックオジイになったウディ・アレンが、人気俳優を配して撮る映画は正直どれもイマイチ。『レイニーデイー』も評判はいいものの、「ロマチックな気分になれる」とか「ティモシー・シャラメがカッコイイ」という感想には、むしろ見る気を削がれていた。が、思ったよりも良かった。

レビューは後日書くとして、ロマンチックだけじゃないウディ・アレンらしいひねりも見て取れたし、なによりシャラメがウディ・アレン的キャラを好演している。かつてウディ自身が演じていた皮肉屋で自意識過剰で屈折したキャラ。これを役者がどう演じるかが近年の作品の見どころでもある。

ジョン・キューザック(『ブロードウェイと銃弾』)、ジェシー・アイゼンバーグ(『ローマでアモーレ』『カフェ・ソサエティ』) は、よくハマっていた。オーウェン・ウィルソン(『ミッドナイト・イン・パリ』)もまずまず。が、ホアキン・フェニックス(『教授のおかしな妄想殺人』)やコリン・ファース(『マジック・イン・ムーンライト』)クラスになると、役者個人のアクと重厚感が勝っていて、映画の小気味よさと相反する印象が。今回のシャラメは、自身のキラキラした魅力を抑え、屈折キャラをうまく演じていたと思う。

アメリカではいまだに未公開のこの映画。ウディ・アレンも85歳。あと何本撮れるのか……。

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