「子供いないの?」「老後はどうするの?」子供を産まない生き方の課題と対処法 

子供を産まないコラム
*本記事のリンクには広告が含まれています。

「子供を産むか産まないか」 私はこのことにハッキリとした結論を出さず、結果的に「子供を産まない」人生を送っています。時間や経済面での自由度も高く、自分に合った生き方だと思っていますが、一方で子供がいないがゆえの問題にも直面してきました。

少子化問題への後ろめたさや、ママさん社会への蔑視などダークな気持ちを抱えながらも「子供を産まなかったこと」を後悔したり、淋しさや物足りなさを「子供がいないこと」のせいにしたり、そんなカッコ悪い生き方だけはしたくない、と思っています。

子供を産まない生き方にはどのような課題があり、どう対処すべきでしょうか。

「子供いないの?」にはどう対処する?

一番はコレです。「子供いないの?」「子供はまだ?」「産まないの?」など、親戚の集まりや職場、ご近所、美容室などでことあるごとに聞かれます。

「いる/いない」に関しては、そのまま「いない」と答えればいいのですが、

「産むのか、産まないのか」
「ほしいのか、そうじゃないのか」
「なぜ、ほしくないのか」
「できないのか」

など、質問がどんどんエスカレートする場合があります。

質問の主はおおかた、親戚のおばさんやご近所の年配の「子供を産んでいる」女性。彼女たちのなかには「子供はカワイイよ」「子供がいたほうが幸せよ」「女は子供を産んでこそー」というような思いがあるのでしょう。

こうした思いから発せられる「子供はいないの?」に対し、うっとうしさのあまり「子供は産まない」「ほしくない」と適当に答えてしまうと、さらに「産むべきよー」という価値観を押し付けられ、それらへの反発から「子供はいらない」という気持ちが強くなってしまうかも。こんな形で「子供はいらない」という結論を出すのは本意ではありません。

「子供はいないの?」の質問には「いない」という事実だけを答え、それ以上の質問には、「そうですねー」「どうでしょうねー」「こればっかりは……」とのらりくらりと返事を濁す。

私は10数年、コレで乗り切ってきました。

政治家のトンデモ発言にムカついてしまうけど

「子供を産む、産まない」に関して、たびたび取り上げられる政治家たちの問題発言。

ザックリ紹介しますと、

「女性は産む機械、装置の数は決まっている」
「子供を一人も作らない女性が、歳をとって税金で面倒みなさいというのはおかしい」
「子供を4人以上産んだ女性を厚生労働省で表彰することを検討してはどうか」
「(子供が生まれなければ)人さまの子供の税金で老人ホームに行くことになる」

などがありました。

そのたびにメディアが「問題発言」として取り上げ、女性団体らが抗議の声をあげます。
たしかに「女性は子供を産むべき」という価値観を押し付けられているようで腹が立ちますが、これはあくまでも政治家が日本の人口問題として言っていること。一個人の「産む、産まない」を判断する権利を脅かすものではありません。

「産まない自由」もあるし「産むか産まないか悩む自由」もあるし「産むか産まないかをうやむやにする自由」もある。「女性は子供を産むべき」は人権侵害ではないか?の批判に対し、問題発言をした当人が「という意見もある、ということでー」と、「発言は自由」という立場をとるので、まともな議論にもなりません。

グサッ……。「子育ての大変さがわかってない」と言われたら

女性が多い職場で起こりがちな「子持ち VS 子なし」の構図。時間外勤務や急なシフト変更などには「子供がいない人」が対応しても、それでもなお子育ての体力的、精神的負担はカバーできていない、と不満を抱く「子供がいる人」もいます。

「子供を産んだことがないからわからないのよ」や「子育てをしたことがないからわからないのよ」は、たしかにそうです。そのとおり。簡単に「わかります」とは言えません。仕事の経験や技能とは全く別のところで自分を否定されるのは結構へこみますが「わからない」を前提にしなければ溝は深まるばかりです。

「子育ての大変さがわかってない」に傷つく必要はありません。「わからない」うえで、お互いを理解し合う姿勢を保ちましょう。

また、職場以外でも「子育てしていないから大人になりきっていない」「親の気持ちがわからない」などの極論を吐く人はいます。が、人の生き方はものすごく多様化しています。このような固定観念に縛られることはないので、クールに「ですよねー」と聞き流していいと思いますよ。

「老後はどうすんの?」ご先祖、お墓問題はどうする?

「子供は産まないの?」と聞いてくるお節介なおばさんたちは、きまってコレも言います。

「子供がいなかったら、老後はどうするの?」「死んだとき困るわよ」

ハイ、まず老後です。子供がいるからといって老後が安泰とは限りません。たとえいたとしても老後の面倒を見てもらおうと当てにするのもどうかと。

自分と夫が将来どのくらい介護の手が必要になるか。介護が必要になったときにどういう選択肢があるか。これら年々現実的になってくる問題は、自分たちで考えていく問題です。子供がいないからといって、どん詰まりでもナンでもない。子供がいないなりに計画的に老後を迎える準備を進めていけばいいのです。

次にお墓。って、「死んだときに困る」って、意味がわかりません。

先祖のお墓に入るにしても、自分たち夫婦のお墓を作るにしても、子供がいなければそのお墓は期限付きでお寺か霊園に管理してもらうことになるでしょう。

もしかすると、お墓を持たないかもしれません。お墓をどうするかはこれから夫婦で決めていくことですが、いずれにしても「子供がいないので困る」ということにはならないでしょう。

「 子供を産まない 」生き方の課題の「まとめ」

子供がいないことで直面する問題はさまざまですが、「いないから困る」「いないから淋しい」ということはありません。

「子供は産まない、いらない」と確固たる意志がないために、「子供がいないからー」という世間の勝手な評価に傷ついてしまいがちですが、そこは「いろいろな意見があるな」としなやかに受け止めたいものです。

◆子供を産むことは義務でも務めでもない。一つの選択だ。

タイトルとURLをコピーしました