台風とオリーブ/昭恵的社会現象/煩多な夏草の茂り

まんざらでもない日記

2020年9月4日

先日の台風(9号)もなかなかのモンだったけれど、週末にはさらに強力な10号がやってくるという。夜中の暴風雨は家の中にいても「停電になるんじゃないか」とか「窓ガラスが割れるんじゃないか」とか「屋根が飛ぶんじゃないか」と恐怖妄想を掻き立てる。

こんなときに道に迷った見知らぬ人が「一晩だけでも泊めていただきたい」とやってきて、泊めたはいいものの、案の定そいつはサイコ、もしくはすでにこの世の人ではなくー、なんてことを考えてしまう自分が恨めしい。ああ恨めしい。

こんな妙な癖はどうしようもないので、せめて現実的な台風対策をー、ということで庭木を切ることになった。普通、樹木の剪定は夏場にしてはいけないのだけれど、なかなかの巨木になっているので万が一倒木すると母屋を傷つけたり、道路をふさいだりしかねない。

なかでも問題はオリーブの木だ。もう10数年にもなるのに一度も実をつけたことがない。受粉のために種類の違う2種類を植えているけれど、一向に花すら咲く気配がない。オリーブは新しく伸びた枝に翌年花が咲き、実がなる、という話を聞いたので、ここ1年は伸ばしっぱなしにしているけれど、今年も花は咲かなかったし、もちろん実もなっていない。そもそも、実がなったところでそれをどうする?塩漬けもオイル漬けもそれほど好きでもないし、買って食べることもないしー。

ってなことが本日のわが家の朝食時の話題で、今、夫が伸びきったオリーブの木を黙々と切っている。

切った枝でオシャレなリースを作るとか、オリーブの葉はポリフェノールたっぷりのお茶になるとか、枝葉の活用法もあるらしいがー。


いわゆる「ナチュラルライフ」というものが苦手で、「ていねいな暮らし」とかいって、わざわざ手をかけたくないし、そこから扉が開きそうな「エコ」とか「スピ」とかそっち方面にはさっぱり興味がない。

先日辞任を発表した安倍首相の妻、昭恵さんはこの7年半の間、そっち方面に歩みを進めていた。教育勅語を暗唱させる森友学園との密接なつながりや、神社巡り、無農薬農業と居酒屋経営、その姿勢は一貫したものでまったくブレることはなかった。これが「実家力」に支えられたセレブ奥様のお遊びのように思われているのだろうけど、本人は大真面目に「夫のため」、ひいては「日本のため」と思っていたのだろう。

朝日新聞のコラム(9月2日)で中島岳志氏は、昭恵さんのこの行動を「私らしさ」を求めて「自分探し」をする若者と共通すると指摘。「自分探し」から自然・伝統回帰、精神世界と繋がり、それが「ニッポンすごい」系のナショナリズムや排他的な愛国心に接続していく傾向があると。

つまり、昭恵さん個人の問題ではなく「社会現象」であると分析している点はなるほど、納得。


同じ日(9月2日)の新聞に掲載されている作家、田中慎弥氏の寄稿「本が読まれない時代の政治家」も面白かった。

作家、三島由紀夫の思想や政治との関わりを例に、作家として政治に首を突っ込みすぎると三島の二の舞になる、カッコよくない、文学的でない、と避けてきたと綴っている。

「本が読まれなくなった」とすら言われなくなった今、”学生が本を読んで人生や政治について考えていた(三島の時代)など、優雅なおとぎ話でしかない。安倍氏はそういう時代の総理大臣だった。”

そして官僚や政治家自身に「どんな本を読んでいるのか、読んできたのかを聞いてみたい」と。”読まないのが駄目とは思わない。ただ、読んでいないかもな、と無意味に思うだけだ。”と終るこの文章は、なかなか皮肉が効いている。

ちょうど久々に『仮面の告白』を読んでいるのだけれど、やっぱり面白い。たかだか同級生の腋毛を見ただけの話を、こう表現する文豪、三島由紀夫。

それは若さへの、生への、優越への嘆声だった。彼のむき出された腋窩に見られる豊穣な毛が、かれらをおどろかしたのである。それは夥しい・ほとんど不必要かと思われるくらいの・いわば煩多な夏草の茂りのような毛がそこにあるのを、おそらく少年たちははじめて見たのである。それは夏の雑草が庭を覆いつくしてまだ足りずに、石の階段にまで生いのぼって来るように、近江の深く彫り込まれた腋窩をあふれて、胸の両わきへまで生い茂っていた。

『仮面の告白』より引用

そうそう、わが家も庭を覆いつくした煩多な夏草の茂り(こっちはホンモノの)を片付けて台風に備えましょ。

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