『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』川本直 虚構か事実かー、事実だけが真実ではない 

本と読書

ジュリアン・バトラー。どこかで聞いたような名前だけれど思い出せずにいた。

ジュリアン・バトラーとは 

そうか、あのジュリアン・バトラーか。私は10数年前に叔父から書庫ごと譲り受けた遺品の中にその1冊を見つけた。

アメリカの文学研究者だった叔父は2006年、71歳で他界した。小柄でおしゃれでいつも朗らかだった叔父は、生涯独身で愛猫のネルと暮らしていた。ネルという名は『アラバマ物語』で知られるアメリカの小説家ハーパー・リーのファーストネームからとったという。「ハーパーはファーストネームじゃないんだよ、ミドルネームなんだよ」とえらくこだわりがあったようで、機嫌よくギムレットを飲んではその話ばかりしていた。そんな叔父が残したジュリアン・バトラーの1冊が『空が錯乱する』だった。

『空が錯乱する』(1966年 吉田健一訳・河出書房新社) は、古代ローマを舞台にネロ皇帝と宦官スポルスの物語。去勢して忠実な妻となったスポルスだが、ネロの自殺後、男から男へと庇護を求めて渡り歩くことになる。その数奇な生涯を描いたものだ。同性愛をテーマにしながらもどこか冷徹で虚無的な筆致に引っかかる何かがあった。

『空がー』ほか、邦訳されたジュリアンの著作はすべて絶版になっており、日本でその名を聞くことはまずなかった。

が、2017年に “The Real Life Of Julian Butler : A Memori.” という回想録がRandon Houseより出版された。著者アンソニー・アンダーソン(2016年没)に生前唯一インタビューを行った日本の文芸評論家、川本直の手によって翻訳され、さらに後日譚「ジュリアン・バトラーを求めて」を加えた”完全版”の『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』が2021年日本で出版された。

カポーティやヴィダル、メイラーと並び称されたジュリアン・バトラー。同性愛者であることを公言し、公の場に女装で登場するなどスキャンダラスな存在として注目を集めた。伝説となった68年のTV討論番組やその直後のジュリアン襲撃事件は叔父が語っていた記憶と重なる。

が、本書にはおそらく叔父も知ることのなかった驚愕の事実が綴られている。長く一緒にながらも一切表に出ることのなかった編者、ジョン・ジョージ。羨望と嫉妬、愛憎の絡み合う日々。そして1977年4月のジュリアンの死。

この『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』を、ともに眠る叔父と愛猫ネルの墓前に供えた。

(このレビューはフィクションです)

『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』の内容紹介

私には書庫ごと遺してくれる叔父などおらず、『空が錯乱する』も読んだことはありません。というか、ありません、そんな本。

本書『ジュリアンバトラーの真実の生涯』は、こんなレビューを書きたくなる1冊なんです。お許しを。

公式の紹介はこちら

「ジュリアンは私で、私はジュリアンだった」
作風は優雅にして猥雑、生涯は華麗にしてスキャンダラス。トルーマン・カポーティ、ゴア・ヴィダル、ノーマン・メイラーと並び称された、アメリカ文学史上に燦然と輝く小説家ジュリアン・バトラー。
その生涯は長きにわたって夥しい謎に包まれていた。
しかし、2017年、覆面作家アンソニー・アンダーソンによる回想録『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』が刊行され、遂にその実像が明らかになる――。

河出書房新社より

朝日新聞の「好書好日」で、”これほどの作家なのに日本では1文字も紹介されてこなかった。なぜなら、実在しないからだ。”と明かされているとおり、ジュリアン・バトラーは存在しません。

ジュリアンだけでなく、あの人もあの人も存在しないのです。が、カポーティやヴィダル(←私、この人は知りませんでした)、アンディ・ウォーホール、吉田健一、三島由紀夫などはもちろん実在の人物ですし、オリンピア・プレスというエロ系の出版社も実在します。

評)虚構か事実かー、事実だけが真実ではない

私は本書に次々と登場する人物を存在するかしないか、いちいち調べながら読んだのですが、読み終わってそんなことは無意味だと気づきました。

ジュリアンやジョンが綴る作中作、2人のストーリーとアンソニーによる回想録、その訳書を手掛けた川本直氏によるあとがき。本書の中の登場人物が経験し、見聞きした話は紛れもなくジュリアン・バトラーの真実なのです。

本書の序盤に登場する衝撃的なシーンを含む著書『ネオ・サテュリコン』は残念ながら実在しませんし、映画化作品も残念ながら存在しません。原作の60年代から80年代半ばに舞台を置き換え、ホロヴィッツ(ウラディミール・ホロヴィッツ:ウクライナ出身のピアニスト)のコンサートをプリンスのライブにし、主人公のカップルはマッツ・ミケルセンとダグラス・ブースで。ていうか、このキャスティングそそりすぎですっ!

しかし一方、この映画を監督したオリバー・ストーンはロシアによるウクライナ侵攻が続く現在(2022年4月)、ロシア寄りの発言で世間をザワつかせています。そのこと考えたら、この映画(繰り返しますが、ホントに残念なことに存在しませんっ)に対する「如何にもストーンら強い野蛮な映画」 というジョンの”こき下ろし”は現実味を帯びています。

虚構か事実かー。どちらであっても自分の心の何かと相まって生み出される「意味」は「真実」なのではないか、と思いました。

昨今、「映画を倍速で見る」とか「物語は伏線を回収してナンボ!」という言いようにモヤッとしていましたが、この作品に見る「1本の線ではない表現」に心の霧が晴れる思いがしました。

文学における作家とは何か。ジュリアン、ジョン他、登場する作家たちの「作家論」として、ゲイ文学の「イデオロギー批評」としても読みごたえたっぷりの1冊『ジュリアンバトラーの真実の生涯』、激推しです。

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