『印刷職人は、なぜ訴えられたのか』ゲイル・ジャロー  言論・報道の自由とは

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『印刷職人は、なぜ訴えられたのか』は、1730年代のアメリカで実際に起きたある事件(ゼンガー事件)の真相を描いたお話です。

100ページ足らずの短い本書、しかも児童書として訳された(訳・幸田敦子)ものですが、大人のみなさまにもおすすめの1冊です。

本書のレビューとともに、ネット社会の「言論の自由」「報道の自由」を考えます。

『印刷職人は、なぜ訴えられたのか』のあらすじ

舞台は1730年代のニューヨーク。
イギリスの植民地であったこの街に、イギリスから新しい総督が赴任してきます。

その男の名はウィリアム・コスビー。
イギリスで権力者の娘と結婚し地位を手に入れたコスビーは、私利私欲にまみれた人物です。
赴任後コスビーは地元議会や住民たちに不当な金銭要求を繰り返し、自身が訴えられた法廷でも判事を買収したり、罷免したり愚劣な行いを繰り返します。

コスビーに対する議会と住民の怒りは、やがて一つの新聞発行につながります。
コスビーの悪行を報道するための新聞「ニューヨーク・ウィークリー・ジャーナル」が創刊。その印刷・発行人はジョン・ピーター・ゼンガー。

反コスビー派の弁護士らが匿名でコスビーを糾弾する記事を執筆。これらを掲載したゼンガーのジャーナル紙は、コスビー派の御用新聞「ニューヨーク・ガゼット」と論戦闘争となります。

コスビーは自分を毀損する報道をし続けるジャーナル紙に対し裁判を起こします。 記事を書いている人物は特定できないため、発行者であるゼンガーを相手取ったのです。

ゼンガーは逮捕、投獄され裁判が始まります。

裁判の争点は、人々の心を惑わし政府(総督)に対する侮辱の気持ちを引き起こしかねない記事を掲載した新聞を発行したか否かー。記事の内容(コスビーの悪行の数々)が真実かどうかは問題ではなかったのです。

コスビーはさらに権力を悪用し裁判は長期化します。裁判の中でゼンガーの弁護士アンドリュー・ハミルトンは「英国法における誹毀罪は、ここニューヨークにおける誹毀罪と同じであるとは言えません。ある時代のある場所においてすぐれた法であるとしても、その法が、ほかの時代のほかの土地では悪法ともなりうるのです」と主張。言論の自由や報道の自由が、市民の生活を守る唯一の術であると訴えたのです。

裁判はこの主張が認められ、「記事に書かれていることが事実である以上、印刷屋に罪はない」と、ゼンガーは無罪となりました。

評)言論の自由とは、報道の自由とは

この事件で社会が得たことは「言論の自由は尊い、守られるべきだ」に違いありません。
自由に主張することがままらなかったこの時代に勇気をもって声を上げ、言論の自由を勝ち得たからこそ「いま」あるのです。

そしてもう一つ、「報道されることは、真実でなければならない」
これも大きな収穫であったはずです。

しかし、ネットやSNSで誰もが自由に発言できるようになったいま、ここがゆらぎ始めています。「報道されることは、事実でなければならない」が生み出したのは「事実だから発信してもいい」「事実だから正しい」という風潮です。

世の中はコスビーのようなわかりやすい悪人ばかりではなく、善悪の区別も曖昧で、事実でさえも故意に捻じ曲げられたり、書きかえられたりすることもあります。そんな状況のなかで「事実だから発信してもいい、正しい」と言えるのでしょうか。

この事件でも、ジャーナル紙の報道はやりすぎで、まっとうとはいえない批判や相手の弱み、家族の秘密を詮索するものまであったといいます。また、発行人ゼンガーは、匿名者が書いた記事を忠実に印刷、発行しただけの存在だったと見られています。

『印刷職人は、なぜ訴えられたのか』は、言論の自由を勝ち取ったサクセスストーリーとしてではなく、いまの時代だからこそもう一歩先を考えなければ、と思わされる1冊です。

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