平成テクノロジー奇譚 「しゃべる便器」は便利の象徴?

コラム
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2019年、時代は平成から令和に変わりました。思えば平成の30年間は、あらゆる技術が進歩し、その進歩に戸惑い、翻弄されてきました。

この話もそのひとつでー。

平成のある日、便器が話しかけてきた

平成某日、某所で行われた会合に出席した私は、休憩時間にトイレに行った。

見事にリニューアルしたこの会場は、改装に「寄付金」という名の「強制徴収金」がふんだんに使われているとのウワサ通り、私からも有無を言わさずブン取った甲斐あって、クソひとつ落ちていないクリーンなトイレであった。

私はそこそこに切迫した状況にあったが、それを微塵も感じさせることなくクールかつスタイリッシュに個室に入った。すると、私がひた隠しにしていたただならぬ尿意を察してか、速やかに便器のふたが開いた。

おおっ! と思ったが、便器のふたが自動で開くくらいで感嘆するほど田舎モノではなくってよ。そう思い、一段とスタイリッシュに便座に腰掛けようとしたときー、

「はい、小川です」

便器がご丁寧に挨拶してきた。

私は驚いた。たしかに寄付金という名のもとに強制徴収されたお金は決して少額ではなかった。が、かといって、律儀に自己紹介される筋合いはない。

私は狼狽した。しかし、ここは礼節を重んじる日本国民。その誇りによって、

「よ、淀川です」

と、静かに名を名乗った。ついでに、

「小です」

と、聞かれてもいないことまで申告した。

すると便器の小川さんは、

「はい、わかりました」

と、こたえたのだ。その声が、なぜか少し沈んでいたことが気になった。小川さんとしては、「大」のほうを所望していたのだろうか。

そして、いつも以上に恭しく便座に腰を下ろし、申告どおり「小」をいたそうとしたそのときー、

「はい、出ます」

と、便器の小川さんが声を発した。先ほどの「はい、わかりました」よりも、はるかにキッパリと言い切ったのだ。

なにが出るというのか? 出すのは私のほうなのに、ご丁寧にその実況をしてくれるというのか。いくら法外な強制徴収金をブン取ったからといって、それは明らかに過剰サービスではないか。

焦る私は「小川音姫」を流しながら、出すべきものを出し、拭くべきのもを拭き、履くべきのもを履き、流すべきものを流して、そそくさと小川邸(トイレの個室)をあとにした。

この間、小川さんは無言であった。「がんばれ、がんばれ!」と応援してくれることもなく、「お疲れさまでした」とも言ってくれない。やっぱり「大」じゃないといけなかったのだろうか!?

怖い。テクノロジーの進歩もここまできたのか。私は冷静さを取り戻そうとロビーでコーヒーを飲むことにした。

すると、

「ええ、ええ」「はい、はい」と、背後から女性の声が。その声はたしかに先ほどトイレで聞いた小川さんの声である。

「えっ!小川さん?」

私は思わず声を出して振り向いた。すると、そこには携帯電話で話す、見たこともないフツーのオバさんがー。

そのオバさんは「小川さん?」といって振り向いた私を見て、明らかに困惑している。「この人誰かしら?なぜ私が小川だと知っているの?」という表情である。

私はそんな小川さん以上に困惑した。「小川さん?」とは言ったものの、私はこの人のことは絶対に知らない。というか、小川さんは便器ではなく人間だったのだ。

さあみなさん、一緒に頭を整理しましょう。

「しゃべる便器」の裏側

状況を振り返ります。

私がトイレに入ったとき、隣の個室に小川さんがいた。で、私の入室に合わせて便器のふたが開くそのときに、小川さんはかかってきた電話に出たのだ。

「はい、小川です」

この声を聞いた隣の個室の私は戸惑いつつも

「よ、淀川です」「小です」

とこたえたのだ。ちょうどそのときに小川さんは電話の相手に対し、

「はい、わかりました」とこたえた。

小川さんの声が沈んでいたのは、かかってきた電話が「次の会議の資料、中途ハンパなんだけど見直してくれない?」みたいな、なにかよからぬ話だったからだろう。

で、私が隣の個室で申告どおりに「小」をいたし始めたところで小川さんが「はい、出ます」と言ったのは、おそらく「このあとの会議出るの?」みたいなことを聞かれたからだろう。

そうだ。いくら法外な強制徴収金を取ったからといって、「しゃべる便器」なんていうムダなものを設置する必要はない。そもそも便器は挨拶も実況もする必要はないし、ましてや「小川」なんてメジャーな名前のはずはないし、

というか、

トイレの中で電話に出てんじゃねーよ!

と、私は便器から人間に進化した小川さんを睨みつけた。

もう便利なものはいらない!?

テクノロジーの進歩によって、私たちの生活はとても便利になりました。

あらゆるものに「音声案内機能」が搭載され、あれやこれやと案内してくれます。車に乗ればナビやレーダーが「制限速度」がどうとか「○メートル先に△があります」とか音声で案内してくれるのは、運転中という手が使えない状況下ではホントにありがたいものです。

「再生が終わったメッセージが3件あります。消去しますか?」
「お風呂が沸きました」
「ガスが漏れていませんか?」

家の中で、自分でも家族でもない「声」がすることに何の違和感も覚えなくなりました。

そして時代は「スマートスピーカー」を作り出しました。これまで一方的に「お知らせ」や「警告」を話すだけの「しゃべる機器」にAI機能を搭載し、双方向のコミュニケーションが可能になったのです。

スマートスピーカーにどんなテクノロジーが駆使されているのか等々については、デジタルに疎い私なのでガッツリ割愛しますが、人間以外のモノが「しゃべる」のはあたりまえの時代になったのです。

「え!? 声で案内してくれないの?」「文章を読めっていうのか? 不親切じゃないか!」

といわれる時代はもう目の前なのです。

そこで、「しゃべる便器」です。調べてみたところ、2010年に某有名メーカーが「しゃべるトイレ」を開発しています。ニュースや天気のほか、クイズや川柳などの面白コンテンツも搭載した「未来型トイレ」です。

ん? ニュースや天気よりも「紙!紙がありません!」とか、ドアに手が届かないトイレでノックされたときに「入ってまーす!」というような、個室の外にいる人に向けた音声機能が必要じゃないでしょうか。「未来型トイレ」は、もはや「便利」なのかはわかりません。

いや、私たちはもう「便利」を求めてはいないのです。

平成の30年の間に人々の価値観は大きく変化してきました。「便利かどうか」「役に立つかどうか」だけではなく、生活に「笑い」や「ゆとり」「くつろぎ」をもたらすものに価値が見出されるようになりました。

が、これらの「新しい価値」も次々に消費されていきます。「結局シンプルがいいよね」「無駄な機能が多いよね」といわれ始めたものも少なくはありません。

つい先日までにぎやかに音声で案内していたものが、急に黙り、静寂が訪れるかもしれないのです。この先、便器に話しかけられたり、話しかけられなかったりすることに一喜一憂することなく、私は時代の変化を楽しむ「令和」を過ごしたいと思います。

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