埴輪からのメッセージ「最善を尽くしていますか?」 九州国立博物館訪問記

最善コラム

数年前に読み込むことができなくなっていた「外付けハードディスク」をPCにつないでみたところ、なぜか復活した。そこにはボツにした原稿とか、原稿のネタとか、見た映画や読んだ本のことをつらつらと書いた多量のファイルが入っていた。読み込みができなくなってから結構な年月(7~8年?)が経っているし、今とはまったく異なる環境にいた当時の自分が書いたものは、かなり新鮮に思えた。

アレ?こんなのいつ書いたっけ? と、ほぼ忘れているものさえあった。ボツにしたはずのものたちは、「姑息の権化」と化した私の手によって見事にリメイクされ、世に放たれ、小銭まで産み出した。

素晴らしい! なんという奇跡!「こんなことがあるから、なんでもかんでも捨てるわけにはいかんよねー」と雑然とした、いや、「宝の山予備軍」のわが部屋で悦に入った。

これらはゴミではない、資産である!

……、ホントにそうだろうかー。一度ボツにしたものを再生していいものだろうか。

そのとき歴史は導いた

場所は九州国立博物館

冤罪で左遷されたことを根に持ち、死後、宮中に天災を巻き起こしたという学問の神様「菅原道真」でおなじみの『太宰府天満宮』から、ちょっと奥まったところに2005年に建てられた九州最大の歴史博物館である。

「まぁ~、こげなところに、スゴかもんば作りんしゃったね~」

と、博多っ子たちは参道で食べた「梅ヶ枝餅」が逆流するほど度肝を抜かれた。

この九州国立博物館では、様々な特別展が開催されているが、それとは別に、九州はアジア交流の「要潤」、じゃなくて「要」というコンセプトのもと、旧石器時代から近世末期に至るまでの日本文化を展示した『文化交流展示』を常時開催している。

<『文化交流展示』のテーマ > 九州国立博物館HPより引用

Ⅰテーマ 「縄文人、海へ」(3万年前~2500年前)
Ⅱテーマ 「稲づくりから国づくり」(紀元前5世紀~7世紀前半)
Ⅲテーマ 「遣唐使の時代」(7世紀後半~11世紀前半)
Ⅳテーマ 「アジアの海は日々これ貿易」(11世紀後半~16世紀前半)
Ⅴテーマ 「丸くなった海、近づく西洋」(16世紀後半~19世紀中頃)

膨大な展示品を前に、

「よう、こげん集めんしゃったたいねぇ」

と、博多っ子たちは参道で食べた「梅ヶ枝餅」の粒あんのカスが、あわよくば歯の間に詰まっていて、もう一度味わえないかと、舌先を巧みに動かしながら称賛した。

特に、Ⅱテーマ「稲づくりから国づくり」のスペースは圧巻である。
稲作が始まった弥生時代には本格的な農耕社会が生まれ、権力者の墓に収められたという、あの「埴輪」が展示されているのだが、その数が半端ないのだ。

大小さまざまな埴輪。人の形の埴輪だけでなく、当時の農工具や動物を象った埴輪もある。それがところで狭しと並べられており、埴輪大集合! 埴輪軍団! なのである。

「まーっ、たまがった! こげんあったら、ありがたみもなんもなかね」

と、博多っ子たちは参道で食べた「梅ヶ枝餅」のことなどとうに忘れたかのように呆れはてた。

埴輪が語る真実

が、その埴輪軍団の中に、様子のおかしな埴輪が数体あった。そもそも埴輪には、なんとも言えないオモシロさがある。

標準的な埴輪を、

「美術度5、オモシロさ5」

の実力配分としよう。

ならば、美術書や教科書に載っているような、精巧な細工が施された埴輪は、

「美術度9、オモシロさ1」

である。

オモシロさを「0」にしないところがニクい! 古代人のセンスの良さがうかがい知れる。

で、その様子がおかしな数体の埴輪であるが、

「美術度0.2、 オモシロさ9.8」

くらいにオモシロ方向に振り切っていたのだ。

いや、ここが九州国立博物館でなかったら、

「美術度0 オモシロさ10」

とジャッジされても不思議ではないシロモノであった。

これは完全に「笑わせ」にかかっているのではないか。古代人からの挑戦ではないか。

博多っ子たちは、帰りに食べるラーメンのことで小競り合いを始めていたがー、

いや、違う! これはただの「失敗作」なのでは? これは古代人がボツにした埴輪ではないのか?

「おーい、できたか! 首長さんの墓にお収めする埴輪はできたか?」

「はい、スイマセン。自分、まだこの仕事入ったばかりで、なかなか難しくて……」

「ん? ナンじゃこりゃ! ウマ、顔デカすぎっ! っていうか、これウマ?  ロバじゃね? っていうか、ラマじゃね?(笑)」

「ですよねー(笑)。こんな生き物おる? って自分でも思いますもん。で、こっちはどうですか? 人型も作ってみたんですが」

「ワッハハハハ!  足! 足、太すぎって、しかも超短いし。ズボン、パンタロンみたいやし」

「スイマセン、急いで作り直します。今日残業してもイイですか?」

「あーあー、いいよいいよ、それで。どうせ埋めてしまうっちゃけんわからんもん。お疲れ。無理せんでいいよ、『働き方改革』やけんね」

適当に周囲の目をごまかし、首長の墓に埋葬した失敗埴輪だったが、なんの因果か数千年の後の日本人が勝手に掘り起こし、こうして九州国立博物館に展示してしまったのだ。

「うわー、マジ飾ってあるし。もうやめてって、アレ失敗作って。自分がまだ新人の頃のやん。誰、掘り起こしたのー」

「ウケるー! フツーに並べられとうやん。めっちゃ見に来きとーやん、現代人!  あれ、お前の子孫じゃね?(笑)」

常に最善を尽くさなくてはいけない

博物館に展示してあるものは、芸術的価値の高いものばかりではなく、こうした当時のリアルな文化レベルを表すものもあるのだ。「優れたもの」だけが後世に残されるわけではない。作った人が「残したいもの」だけが残されるわけではない。

ボツにしたはずの文章が、数千年の後の世界で、どこかの博物館に展示されてしまうのかもしれないのだ。恥ずかしいポエムとか、意識高い系のつぶやきとか、独りよがりな私小説とか、ぜーんぶ展示されてしまうかもしれないのだ。

「川端康成とか芥川龍之介の文章って、2000年経ってもステキよね」

「うん、さすがに美しいね。ん?  こっちはナンだ?」

「『常識を捨ててやりたいことをヤル!』『サクッとリスク取らなきゃ、社畜のままですよ』?  意味わかんないけど、なんかムカっとするわ」

「『お金がありません。どなたか支援してください』って笑いながら言ってるわ……、いろいろ大変だったのね、平成時代って」

みたいなことを未来の日本人に言われてしまうかもしれないのだ。

いや、未来は「国」や「人種」の概念も変わっていて、全人類に笑われるかもしれないのだ。いやいや、宇宙人との交流もフツーになっていて、博物館にやってきた火星人に「センスなくね?」とか言われてしまうかもしれないのだ。

きっと未来ではトンデモナイ復元能力が開発されているだろうから、現代の私たちが「残す、残さない」の選択に頭を悩ますことすら、もはや無意味である。「ボツにしたものでも、そのうちー」なんて甘い考えもスパッと捨ててしまったほうがいい。

「笑われたくなければ、常に最善を尽くせ! 常に全力で書け!」

古代の埴輪職人たちが、数千年の時を超えてそう教えてくれた。

古代人からの熱いメッセージを受けたい方は、ぜひ一度「九州国立博物館」まで足をお運びください。

九州国立博物館HP

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