リメイク映画に学ぶ、ブログのリライト法

ブログ作りとライティング
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「10年後に自分で読んでも恥ずかしくないブログを―」そう思って書いているこのブログ。
が、10年どころか3,4ヵ月ですでに恥ずかしいー。

そこでやるべきことは「リライト」です。

 

「誤字脱字がある」「言い回しがおかしい」「そもそも何が言いたいのか分からない」といった自分へのダメ出しは尽きません。

「キーワードが入ってない」「見出しがない」といった技術的なウィークポイントに気づくことは大切ですが、「ダメだから」「なんかヘンだから」「質がイマイチだから」ということでのリライトでは、単なる「修正」止まりです。

 

単なる修正から一歩踏み出すリライトにしたい!

そんなときに参考にしたいのが「リメイク映画」です。

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同じ原作なのに異なる魅力を持つリメイク映画

名作やヒット作をあえて「リメイク」した映画の中には、同じ作品なのにまったく異なる印象や魅力に満ちたものがあります。

参考にする映画は『沈黙』


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今回、ブログのリライトの参考にする映画はこちら、

2016年のアメリカ映画『沈黙ーサイレンスー』(マーティン・スコセッシ監督)(写真)と、1971年の日本映画『沈黙ーSILENCEー』(篠田正浩監督)です。

この2つの作品はいずれも、遠藤周作の小説『沈黙』を映画化したものです。

 

映画『沈黙』のザックリとしたストーリー紹介

舞台は江戸初期。キリスト教がすでに「禁教」となった日本で音信不通になっている恩師のパードレ(宣教師)を探すために、密航してきた宣教師のロドリゴとガルペ。

長崎に流れ着いた二人は、隠れて信仰を続ける切支丹(キリシタン)たちの救いとなりますが、厳しいキリシタン狩りから逃れるため別々に行動し、やがてロドリゴは、ある男の裏切りによって奉行所に捉えられてしまいます。

切支丹として捉えられた村人に対する無惨な処刑や拷問ー。彼らを救いたければ「転ぶ」(=棄教する)べきと迫られるロドリゴ。

さらに、探している恩師はすでに棄教し、日本人として生活していることを知らされます。

ガルペはともに行動していた切支丹とともに命を投げ出しますが、ロドリゴは苦悩し続けます。

「自分や切支丹たちがこんなに苦しめられるのはなぜか、神はなぜ何も言わない(沈黙している)のかー」

その苦悩の果てに、ロドリゴが選んだのは―、「棄教」することでした。

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リライトの参考ポイントはココ! 魅力の違いは、音と映像にあり

スコセッシ版(2016年)には、ほとんど音楽というものはありません。野鳥や波といった自然の音に彩られ、そこに淡々としたロドリゴの語りが加わります。

映像はダイナミックでありながら、日本人役者たちの微妙な表情(イッセー尾形と浅野忠信はお見事です!)まで丁寧に描き切ったリアルな魅力に溢れています。

この丁寧さが、ラストシーンで描かれる「真の救済」につながっていくのです。

 

一方、篠田版(1971年)は、時代の技術によるところもありますが、壮大というよりもインパクト勝負。

スコセッシ版にも原作にもない登場人物(しかも重要な)がいたり、「着いたばかりの宣教師が日本語が流暢?」とか「逃亡するのに真っ赤な着物?」とか「ポルトガル人役を丹波哲郎!?」など、さまざまなツッコミどころとともに、部分部分に強い印象を残していきます。

さらにそこに挿入される不協和な旋律―。

これはもう「芸術作品」です。「だったら、あのラストもアリね」と思わせる魅力があるのです。

◆壮大でリアル! マーティン・スコセッシ版

 

◆芸術作品!篠田正浩版

 

◆遠藤周作の原作はこちら

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リライトの参考ポイント まとめ

スコセッシ版は、リアルさを追求した丁寧な描き方が見る人に希望を与えるー、つまり、細部にまで気を配られた「読みやすく」「わかりやすく」「希望が持てる」ブログ記事です。

これに対し、篠田版は「わかりやすさ」や「読みやすさ」に欠けても「読む人を魅了する」ブログ記事です。

一般的に情報提供を主としたブログでは「読みやすさ」や「わかりやすさ」が求められます。

しかし価値はこれだけではありません。

「定説」や「定番」に異を唱えたい、別の見方や価値観を提示したいときは、あえて「読みやすさ」や「わかりやすさ」にこだわらないー、という冒険も必要ではないでしょうか。

 

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