『宗教と過激思想』 藤原聖子 現代の信仰と社会に何が起きているか

本と読書

無宗教者の私にとっては「宗教」自体うさん臭いもの。一つの宗教に傾倒していくことで排他的になり相容れない者同士で争いが起きる。「宗教は過激化しやすい。特に一神教はそうなりやすい」と思っていました。

その考えを肯定するかのようなタイトルの本書ですが、むしろその逆。仏教のような多神教にもエコなイメージの民族宗教にも過激思想はあると指摘する本書。筆者は宗教学者の藤原聖子(さとこ)氏。

その内容と感想をザックリまとめました。

『宗教と過激思想』の内容紹介

近年、危険とみなされている宗教に対して、「異端」にかわり、「過激」という表現がよく使われる。しかし、その内実は知られていない。本書は、イスラム、キリスト教、仏教、ユダヤ教、ヒンドゥー教、神道などから、過激とされた宗教思想をとりあげ、わかりやすく解説。サイイド・クトゥプ、マルコムX、ジョン・ブラウン、井上日召、メイル・カハネらの思想を分析し、通底する「過激」の本質を明らかにする。

中央公論新社HPより引用

宗教的過激思想とは何か

本書は宗教ごとの特徴(成り立ちや教義)を踏まえたうえで「宗教的過激思想」には共通した4つの特徴あると示します。

①公正な社会を求めている
②切迫性がある
③世俗的、近代的方法ではその社会的公正は達成できないと認識している
④自分の宗教は公正さを実現する最善の方法を提供していると信じている

例えばマルコムX 。スパイク・リー監督の映画『マルコムX』(1992年)で知られる公民権運動のヒーローというイメージですが、イスラム教から派生し狂信化した新興「ネイション・オブ・イスラム」の活動家でもあったマルコム。その思想を先の4つの特徴に照らして解説する箇所を以下に引用します。

マルコムXが求めたのは黒人が差別され搾取されることのない、黒人たち自身の社会・国家であった(①)。公民権運動のさなかだったが、キング牧師のやり方では状況は改善されないと確信していた(②)。クトゥブ(*サイイド・クトゥブ イスラム主義指導者)と違い、マルコムXにおいてはイスラムの前にブラック・ナショナリズムという民族主義があった。依拠したのはシャーリア(*イスラム教の法律)ではなく人権思想だった。イスラムは「白人の宗教」であるキリスト教に対抗するカードとしてなによりも意味を持っていたのである。しかしだからといって「政治目的のために宗教を利用した」という評価がそぐわないほど、彼は熱心にイスラムを信仰してた(③④)。 *は筆者加筆

『宗教と過激思想』より引用

①②あたりは理解できるのですが、③④あたりはそれこそ「思想」の問題であって、何をもって「公正」とするのかよく理解できませんでした。

「日本人は無宗教者が多いから平和」ではない

「日本人は無宗教者が多いから平和」という平和な考え(?)も危ういものであると気づかされます。

イスラムやキリスト教に比べ日本の仏教や神道は過激とは縁遠いイメージ。が、戦前の日本には「血盟団事件」というテロを起こした日蓮宗の僧侶、井上日召がいた。さらに自然を崇拝するエコロジーなイメージの神道にもそれによって社会を変えようという思想を持った安藤昌益がいた。どちらも知らない人物ながら、読んで知る分にはなかなかの過激っぷりです。

テロなどの行為としての過激にしか目が向かず、それによって「イスラムは過激思想だ」などと思ってしまいがち。ですが、おそらくすべての宗教には内在する思想としての過激性(思想内在的過激性)があり、本書はそこに焦点をあてています。

さらに「おわりに」では、コロナ禍の今の過激思想にも言及しています。ネット上の暴力や陰謀論を信じる人々によるアメリカ議会襲撃事件などにも、一種の宗教的な過激思想が引き金になっているのかも。

宗教に疎い私にとっては充分に理解できたとは思えない本書。そうじゃないよ、と前置きされていてもつい「だからこの宗教は過激ー」とステレオタイプな見方をしてしまう。もう少しわかりやすく書かれていたら……とも思いますが、安易にわかりやすくすることでテーマの本質が歪められてはいけないという書き手の思いだけは受け止めたい、そう思えた1冊です。ぜひ。

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