日本人とゴミ拾い/本を読むメリットとは/日記は自意識との戦い

まんざらでもない日記

2020年7月12日

十数年、いや数十年前のこと。

当時、そこそこリッチだった叔母がJKの私を海外旅行に連れて行ってくれた。
が、リッチ度合いが微妙だったためか、聞いたことのない航空会社の飛行機に乗せられ、3人掛けの真ん中の席で、両サイドを見ず知らずの欧米人風外国人女性(30代~40代)に挟まれての旅であった。

帰国子女でもなく、英会話スクールに通っているわけでもなく、ただでさえ人見知りの激しいJKの私がすすんで外国人女性と話をするはずもなく、結構な長旅を無言で過ごすことになった。

ま、それでもいい、寝りゃいいんだし、定期的にやってくる「fish or meat?」の機内食サービスさえつつがなくいただくことができればー。

 

フィッシュを所望した私のもとに白身魚のムニエル風の何かが、両サイドの外国人のもとにはミートらしき何かが運ばれてきた。

すると突然、右サイドの外国人Aが私のトレイに置かれたスパイスを指さし、「それ、いらんのならくれ」と言ってきた。もちろん英語で。ホントにそういったのかはわからないが、ヤツが私のスパイスを狙っていることだけはわかった。

白身魚のムニエル風の何かはしっかりとした味がついていたのでスパイスをかける必要はなかった。私は寛容な笑顔で「プリーズ」とスパイスを進呈した。

すると、今度は左サイドの外国人Bが「それ、いらんならくれ」と小袋に入ったケチャップを狙ってきた。これは付け合わせのポテト用である。できればケチャップはつけたい。

が、断ることはできん。両サイドの外国人がどこのお国の人かはわからんが、二国間、そしてわが日本との間の紛争は回避しなければならん。

「プリーズ」 私は涙をのんでケチャップを差し出した。

 

それにしてもヤツらは肉への食らいつき方がスゴイ。日本(私)から奪ったスパイスやケチャップをたっぷりつけた肉を豪快に食う外国人女性。
長旅でお腹もそれほどすいてないし、食事はマズいし、私は半分程食べて残すことにした。
そんな虚弱日本人の私に右の肉食獣Aが微笑みかけた。

まさか食べ残しをよこせというのか!? と思ったら、先ほどのスパイスの空袋、つまりゴミを返してきやがった。すかさず左の肉食獣Bもケチャップのゴミ(しかも、出し方が汚い!)を私のトレイに当然のごとく置きやがったのだ。

 

ゴミは返さんでいいんじゃ、ごらぁ!

と虚弱日本人JKの私が言えるはずもなく、なぜか笑顔で「サンキュー」と返してしまった。

「ああ、これが社会なのだ。これが国際社会なのだ」と思い知った。

 

この出来事が、世界に「日本人=ゴミ拾い」のイメージを植え付ける起源となり、のちのサッカーW杯でのサポーターのゴミ拾いにつながるー、わけでないけれど、外国人との感覚の違いを肌で感じた瞬間であった。

 

で、なんでこんなことを思い出したかというと、今日はゴミ出し日なので忘れないように。

というだけのことである。

 

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本を読むと「脳が活性化する」とか「会話力や文章力が向上する」とか「知識が増える」とか「創造力が磨かれる」という読書アゲがスゴイ。

残念ながら私は脳の活性化ほか、言われているような能力の向上を自覚したことは一度もー、いや、まだ・・ない。

本を読むメリットがあるとすれば、それは、本を読むと「読みたい本がない」という状態にならなくなることだろう。

1冊の本を読むと、同じ作者の本や同じテーマの本、本の中に登場する出来事に関する本など、次々に読みたい本が出てくる。本を読むとさらに本を読みたくなる、読まなければならなくなるのだ。

「ぜんぜん読みたい本がなくて……」という悲しい事態に陥らなくて済むのである。

けれども、いつまで本が読めるかはわからない。

本を読むのはメリットがどうのこうのと御託を並べるものではなく、ただただ刹那に楽しむものなのかもしれない。

 

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三浦しをん氏は著書『ビロウな話で恐縮です日記』のまえがきで、三島由紀夫の日記を引き合いに「日記、それは自意識との闘い。」と記している。

本のタイトルにもなっている「尾籠な話で恐縮だが」は、三島が日記に書いたもので、だれに読ませるわけでもない日記なのに、恐縮してみせる自意識過剰なさまが愛おしいという。

 

わかる。
誰に読ませるわけでもない、と言いつつ読まれることを前提として書いている。
私は本日、自意識との闘いに惨敗したのである。

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