パーソナライズされる恐怖 「ちょっと検索しただけなのに」

コラム
*本記事のリンクには広告が含まれています。

キンコン西野氏のcmを弄ったばかりに、私が見ようとするサイトやブログに西野氏のあの広告ばかりが出てくるようになってしまった。そのことの教訓を。

これはパーソナライズド広告というしくみで、「西野氏のcmについて調べましたよね? ナンダカンダいって西野氏のcmのこと気になっちゃってますよね? 興味があるんですよね?  はい、承知いたしたしました!」というGoogleさんの粋な計らいによって西野氏のcmが激推しされている現象なのです。

記事の両サイドに西野、行間に西野、スクロールしても西野、呼び捨てにしてしまうほど西野なわけで、どうにかならんものなん?

*【正しい解説】パーソナライズド広告とは

1.個人的なものにすること。個人に応じて変更したり作り変えたりすること。
2.インターネットなどを通じて各ユーザーの情報を取得・解析し、その人に合った広告を配信したり、商品やサービス、コンテンツを紹介したりすること。ポータルサイト、ECサイト、サーチエンジンなどで採用される。パーソナライゼーション。→ターゲティング広告  (デジタル大辞泉より)

デジタル大辞泉より

というわけで、今回は「ネットの広告をパーソナライズされない設定にする方法のご紹介ー」

っなわけがないっ! このブログにそんな気の利いた情報はございません!

パーソナライズド広告を外す設定についてはGoogleの公式、や諸ブログを見ていだだくこととして、ここではGoogleほか、世界的な一流巨大企業が良かれと思ってやっている ”パーソナライズド” がなぜこんなに迷惑に思えてしまうのか本来ありがたいはずの恩恵をそうとは思えないのはなぜなのか、それはアタマがカタい、人間が古いということなのか、こんなメンタリティでAI時代を生き延びることができるのか、個人情報って、監視社会って、という話をします。たぶん。

パーソナライズドされたほうがいい? される必要はない? されないほうがいい?

ひとまず“恐怖!! どこにでも西野状態”を解消するために、広告の設定をパーソナライズドされないにしたんですよ。

ちょっと検索しただけなのに、私の全てを知ったかのように「コレか?コレでどうや?コレも好きやろ?」とおすすめされるのもイヤだし、そもそもぜんぜん私好みに仕上がっとらんし、私のどこをどー見たら「ま◯が王国」とか「め◯ゃコミ」とかの広告を出す気になるのよ、ってな。

で、履歴とかキャッシュとか、可能な限り痕跡を消して、パーソナライズされない設定に変更。
これでもう西野もマンガも出てこんじゃろ、と思って、優雅にお紅茶を飲みながら、お気に入りのもちろん健全なブログを見てみたわけっスよ。

出たね。出てるね。マンガ系広告が出てくるわけよ! どーゆーこと?

で、その広告の右上にある ”X” をそーっと押して、その広告が配信される理由を確認してみたところー。

Google による広告のカスタマイズが無効になっているため、ユーザーデータに基づくカスタマイズは行われていません。
この広告は、以下のような要因に基づいて表示されています。
・時間帯
・閲覧中のウェブサイト
・おおまかな現在地(国や都市など)

つまり、”パーソナライズしてないけど、ザックリ今はコレね”ということのよう。

ん? だったらパーソナライズされたほうが私好みの広告が出るんじゃないの?履歴やらなんやらをクリアしたので、ならば、と、もう一度パーソナライズする設定に変更。
で、気を取り直して先ほどと同じブログを見てみたところ!

出とる。フツーに出とうやん! ま◯が王国!

で、冷静にその広告が配信される理由を確認したところ、

この広告は、次の要素に基づいて表示されている可能性があります。
・閲覧したウェブサイト
・閲覧していたウェブサイトの情報
・時間帯や大まかな現在地(国や都市など)
・あなたの年齢層

別のパターンでは、

・ウェブサイトの運営者やアプリのパブリッシャーが、広告主と同意した広告のプレースメントに関する全般的要因
・広告の掲載について Google のサービスを利用しているサイト運営者が収集した情報

いずれもGoogleより引用

だとさ。

”パブリッシャー”も”プレースメント”も謎ですが、つまり、パーソナライズしようがしまいが、出るときは出るんですよ、マンガ系広告は。 だったらパーソナライズされて出てるよりも、されてないけどザックリ感覚で出されてる、というほうが私のせいじゃないと思える分ストレスもない。

ということでパーソナライズしない設定に落ち着いたわけです。

パーソナライズされるメリットとは

情報を提供される側にとってのパーソナライズのメリットは、ありすぎる情報の中から自分に必要な情報に効率的にアクセスできる、ということです。

年齢や家族構成、居住地、ネットにアクセスする頻度や時間、検索履歴、サイトの訪問履歴など、ありとあらゆるデータによってパーソナライズされるので、データが多ければ多いほど、また、より細かければ細かいほど自分にマッチした情報なり広告が返される、はずです。

なぜパーソナライズされることに抵抗があるのか

では、なぜ本来便利でありがたいはずのパーソナライズドにイラっとするのでしょうか。

自分のことは自分がよくわかっているという意地

Amazonなどで本を購入すると、”この本を購入した方は他にこんな本を買っていますー” みたいな文言でおすすめしてきますよね。「ほほう、どれどれー」と思って見てみると、「興味ないワイ!」と思うものや「ナンでコレを?」と悩まされるものも少なくありません。

パーソナライズするための情報が不充分だからでしょうけど、そこまでしてくれなくても結構ですよ、と思うのです。自分が読みたい本、見たい映画、欲しいものくらいは自分で探すし、自分で選ぶし、それが楽しいのだし、おすすめされるものは逆に興味がなくなるしー。

「わかってほしいけど、簡単にわかられるのはイヤ」と思う厄介な生きものなのかもしれません、人間って。

監視されているようで気味が悪い

ネットにアクセスすると、大なり小なり自分に関する情報を収集されています。

”監視社会”というとなんだか物々しい気もしますが、市中に防犯カメラやドライブレコーダーがあることで守られている安全もあるのですからー。

このあたりのことは映画でも多く取り上げられています。

映画『ザ・サークル』(2017年)


STX Entertainment / Photofest / ゲッティ イメージズ

「隠し事があるから世のなかが悪くなる」という考えのもと、安全を守る意味での「監視」が広がっていきます。しかし、その一方で、監視が生み出す弊害もー。

映画『スノーデン』(2016年)


Open Road Films / Photofest / ゲッティ イメージズ

米国家安全保障局(NSA)が国内の一般人や大使館などの電話やメールを監視、盗聴していたことを告発するに至った実在の人物、エドワード・スノーデンの話です。

スノーデンは、 「『私には隠す物など何もない』と言うことは『この権利のことなど私にはどうでもよい』と言っているのと同じだ。」と、ネットの情報収集や発信のあり方に警鐘を鳴らしています。

パーソナライズされることになんとなく気味が悪いなと思いつつも、実害といっても西野氏とかマンガ系広告が出てくるくらいなのでどうってこともないのですがー。

いや、それじゃダメなんです!

自分自身を操作されているようで怖い

さらに見方を変えてみると、パーソナライズされて返される情報こそが”真の私”であって、「こんなの興味ない、マンガ、クソっ!」とか思っている自分は、ただそう思っているだけの”実体のない私” ”嘘の私”と思うようになってしまうかもー。

「ちょっと検索しただけなのにー」

ネットが提供してくれる情報だから ”自分に最適” ”自分に合っている” ”自分が求めていたもの” と安易に受け入れてはいけないという教訓です。

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