語りすぎる『ドライブ・マイ・カー』/無理すぎるキャラ変/騒ぎすぎるノーマスク

まんざらでもない日記

2022年2月21日

アカデミー賞のノミネートが話題となっている日本映画『ドライブ・マイ・カー』を見る。
完全に「話題になってるけど、どれどれ……」という構えだったので、多少の”邦画嫌い”のバイアスがかかっているとは思うけれど、精一杯フラットな心で見たつもり。

レビューは近日中に書くとして、ここではレビューにも書きにくいことを書いておこう。

(C)2021「ドライブ・マイ・カー」製作委員会

心に傷を抱える演劇の演出家(兼役者)の男性を中心に、舞台公演のプロモーターや演者、そしてキーとなるドライバー、これらの登場人物のストーリーと作中劇の『ワーニャ伯父さん』とがクロスオーバーする。

「喪失と再生」というテーマにも「作中劇とのリンク」という手法にも新鮮さはない。が、そこはどうとういうことはない。ケチをつける気もない。多言語で行う演劇や原作者、村上春樹の他の短編を織り込んだストーリーに漂う「非日常感」や「疎外感」「孤独感」はこの映画の大きな見どころだと思う。

が、いかんせん登場人物たちが語りすぎる。演劇ならまだしもこれは映画だ。映像で表現できんのか、と言いたくなる。現代の東京や広島といった見慣れた風景の中で登場人物たちは非日常的な会話(というか、語り)を繰り広げる。そこはどうしても違和感でしかなかった。

映画にいちいち感情移入する必要はないけれど、この映画は感情移入しにくい仕掛けを作りながら、後半にかけて臆面もなくエモい演劇調の台詞で畳みかけてくる。これはあざとい。仕組まれた感動のようなウェットさが気持ち悪い。いや、このいかにもな感動がウケているのだろうか、気持ち悪い。

が、その気持ち悪さを見事に中和する石橋英子の音楽が素晴らしい。この映画最大の見どころ(聞きどころ)といってもいい。キャストは言及する必要もないでしょう。


ボヤキついでにもうひとつ。
活動を自粛していた芸人・アンジャッシュの渡部が芸能活動に復帰した。えらく低姿勢で帰ってきた。

ま、そうせざるを得ない昨今の風潮もわかる。けれども”芸風”まで変えてしまうってどうよ。”真面目でクリーンな渡部さん”なんてまったく望まれていないだろうし、”クリーンを装っているけれど、性根はゲス” というせっかくの面白さにも着地できない往生際の悪さ。

まさか、キャラ変すればやっていけるとは思ってないよね、そんなバカじゃないよね。お帰り、渡部。


感染拡大がおさまらない新型コロナ。身近な人に感染者はいないものの、いつも見ているTVの出演者やTwitterで交流のある人たちが相次いで感染していく事態に、危機感とは言わずとも気を緩めちゃいかんな、とあらためて思った。

仕事があって、子どもがいて、という人たちはホントに大変だと思う。私のような半隠居とはわけが違う。自分が感染して医療や行政の手を煩わせないように、と思う。コロナじゃなくてもケガやほかの体調不良でも同じ。このコロナ禍の生活にさしてストレスもないのだから、せめてたいへんな人たちの邪魔だけはしないでおこうと思う。

某市議や年配者のノーマスク主張。ノーマスクでもいいけれど、騒ぐなよ、話しかけてくんなよ、と思うだけ。

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