『女の甲冑、着たり脱いだり毎日が戦なり。』ジェーン・スー 「これじゃねーっ!」を繰り返す日々

『女の甲冑、着たり脱いだり毎日が戦なり。』ジェーン・スー 「これじゃねーっ!」を繰り返す日々

ウォーキング(という名の散歩)の途中でradikoから流れる音楽にニヤついてしまった。

というもの、先日読んだジェーン・スー氏のエッセイ『女の甲冑、着たり脱いだり毎日が戦なり。』にある、ヒーリングミュージックの話(「ホラー・オブ・ヒーリングミュージック」)を思い出したからだ。

 

ジェーンさんは商業的スピリチュアルが大の苦手で、「強力なα波だか超音波だかが入っている」というヒーリングミュージックが、脳の機能を高めるとか、集中力をアップするとかいう効果もあやしいものと思っていたそう。

しかし、試しにこれをかけながら仕事をしてみると、めちゃくちゃ集中力が増してかつてないほどに作業がはかどったのだと。

で、その作業を続けていると、さらなる予想外の出来事がー。

 

私もスピ系はまったく信用していないのでフムフムと読み進めていたが、この話にあるヒーリングミュージックの効果には驚いた。

-というか、爆笑してしまった。

 

こんなふうに、「ココに書かれている毎日は、自分のことではないか」が満載のエッセイです。

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都会で働く大人の女になるために装着しなければならない「甲冑」

「都会で働く大人の女」として世間の目や自己の欲望と戦いながら、着たり脱いだりするものは洋服やファッションアイテムだけではない。

 

仕事や趣味、恋愛などにおいて「女の人ってこういうの好きでしょ?」「女の人ってこうよね」という既成概念に、ときに抗い、ときに翻弄される様子はまさに「戦(いくさ)」であり、その戦のために身につけるものを「甲冑」と言い表すところがオモシロイ。

 

戦を優位に進めるための「甲冑」もあれば、あえて捨てる「甲冑」もあり、戦の中で失「甲冑」もある。

取捨するのは「もの」だけでなく、時間や情報、価値観かもしれない。

 

――――――

 

何を歌うかで年代が確実にバレてしまうカラオケで、イマドキの歌として『恋するフォーチュンクッキー』を歌ったが、若者の人気はボーカロイドの初音ミクだった(本書「そのクッキーは君に幸運を告げるのだろうか」)とか、

誘われてヨガをやってみたが、スピ系との親和性にモヤモヤして心酔できなかった(同「ヨガってみたはいいけれど」)とか、

オーガニックレストランとか、ディズニーランドとかー。

 

本書にあるエピソードのように、他人にとっては「なんでそんなことで戦ってんの?」と思うようなことが悩ましいのだ。「大人の女」というものはー。

 

子どもの頃、いや20歳を過ぎた大人になった当時でさえ、40代、50代になるとこんなことで悩んだりしないと思っていた。

 

それが「大人の女」だと。

 

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第一線を退いても「甲冑」は不要にはならない

無駄な甲冑は処分すべきだけど、どれを捨てるべきか、どれを残すべきか。

年齢的には大人になった今も私は「甲冑の試着」をくりかえす日々を送っている。

 

外で仕事をしていた頃と比べると、着飾ることもバッチリメイクをすることも少なくなった。

「規範」とか「責任」とか「課題」とか、ややこしいことを言われることもなくなったので、論理武装する必要もなくなった。

これらはすべて要らなくなった甲冑であり、いつの間にか自分のそばには見当たらなくなっていた。

 

しかし、「映画好き」と自負するからには、苦手なマーベルとかディズニーとか邦画とかアニメも見ておくべきだろうか、とか、一応専業主婦だから料理の写真をSNSに投稿したり「ほっこりした幸せそうな雰囲気」を醸し出したほうがいいのだろうか、とか、あらたな甲冑を試着しては、「これじゃねーっ!」を繰り返している。

 

もういっそ、甲冑なんて脱ぎ捨てて「素」でいけばいいと思うけど、「なまけもので皮肉屋で恥かしがり屋」という「本当の自分」のまま社会とつながるのは、どう考えてもムリだ。

かといってかつてのようにガチガチに固めてしまうと、柔軟性を失いつつある思考と足腰では身動きがとれなくなりそう。

 

好きなことをするために、今日も私は「甲冑を着たり脱いだり」するのだろう。

 

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