女性のノーメイクはマナー違反!? 論争に終止符を!

コラム

たびたび勃発する ”女性のノーメイクはマナー違反だ、いやそうじゃない”論争。

こちらのブログでも、その論争についてキレ味鋭く言及されています。

ノーメイクで出社は好きにすればいいけど、それを女性差別だナンだと、さも社会問題のごとく大騒ぎすんな、という主旨です。(ザックリでスイマセン)

これには私もまったくの同感です。
が、「女性はメイクしなければならない」「ノーメイクはマナー違反だ」と言われる、しかも、脂ぎった足の裏みたいな顔したオッサンに言われたらムカッとする気持ちもわかります。

そもそも「女性のメイクはマナーです」はいつ頃、どういう流れで言われ始めたのでしょうか。

それがはっきりすれば ”女性のノーメイクはマナー違反論争” に終止符を打てるかもしれない、ということで調べてみました。どうぞ。

女性のメイクの歴史

まずはザックリとメイク、化粧の歴史を確認です。

メイクは魔除け

古代から顔に色を塗ったり線を引いたりする風習はあって、クレオパトラやツタンカーメンの肖像もアイシャドウやアイラインがバッチバチです。

日本でも弥生時代から古墳時代に、花粉を原料とした赤い顔料を頬に塗る風習があったそう。生命をイメージする「赤」を身につけることが魔除けになると考えられていたらしく、当時の化粧は、魔除けの他にも虫よけや身分を表す目的などで行われていたー。

つまり、当時のメイクはおしゃれ目的ではなく、もちろんマナーでもなかったわけです。

メイクはおしゃれ

朝廷が誕生し、国としての文化が発展する飛鳥時代になると、人々は「自分を美しく見せよう」という社会意識が生まれます。

メイクがおしゃれ目的となった原点はココでしょう。

中国大陸から伝わった白粉を塗る手法によって、人々は白肌を目指します。さらに平安時代になると、より日本的な美意識がメイクにも表れるようになります。

自前の眉毛を全部剃って、おでこの高い位置にいわゆる麻呂眉を書く「眉化粧」、歯を真っ黒に塗る「お歯黒」これが主流となるのです。「眉化粧」や「お歯黒」は、おしゃれの意味(どんな美意識やねんっ!)に加え、貴族としての身分や年齢を表す意味もあったそうな。

メイクはたしなみ

そして時は流れ江戸時代

身分制度によって装いが決められていた時代です。武家の女性たちは身分にふさわしい化粧が決められていたのです。

メイクはマナーの発端はココかもしれません。

当時の書物にも 女性のたしなみとして、「化粧は欠かせない身だしなみ」と記されているように、メイクは女性のマナーと考えられるようになったのです。

一方、商業が盛んとなり文芸や芸術が発展した江戸中期には、遊女や役者などがファッションリーダーとして人気を集めるようになり、一般庶民がおしゃれとしてメイクを楽しむようになります。

メイクの近代化

明治以降、西洋の文化が取り入れられ女性のメイクは大きくかわります。

「お歯黒」「眉剃り」の廃止です。日本にやってきた西洋人が「マジ、超おかしいって」と言ってくださったことにより廃止に至ったそう。ガチの白塗りもやめてベースメイクはナチュラルに。メイクがナチュラルなぶん、スキンケアをちゃんとしようね、という流れになっていきます。

メイクは自己表現

女性の社会進出が進んだ大正時代

女性によるに「女性文化」が創出され、メイクは「女性はかくあるべき」という伝統的な美意識から、自分自身を表現するものへと変わっていきます。社会進出した女性たちは、相手に不快感を与えない自分をメイクで演出するようになります。

この意識が令和の現在につながっているー、わけですね。

女性のメイクの意識はさまざま

では、現代の女性のメイクに関する意識はどうでしょうか。ポーラ文化研究所は、さらに興味深い調査データも紹介しています。

No142 『5タイプの現代女性別にみる化粧意識』は、15~74歳の女性1800人を対象に、生活に対する価値観や志向性(社会とのつながり意識、自己や家族、現実や理想への志向、お金の使い方への態度など)をもとに導き出された5つクラスターが、化粧に対しどんな意識を持っているかを調査したものです。

5つのクラスターは、この通り。

①良いモノ、コト追求したい派(18.7%)
②自分を大切にしたい派(14.6%)
③ひとの役に立ちたい派(21.3%)
④何事もほどほど派(25.8%)
⑤家族を優先したい派(19.7%) *詳しい調査結果はサイトをご参照ください。

クラスター別の化粧に関する意識は、いずれも「化粧は身だしなみを整えること」が1位なのですが、以下、クラスターによって異なる特徴が明らかになっています。

ザックリまとめますとー、

①良いモノ・コト追求したい派 = メイクはおしゃれだ!
「化粧や美容で人から美しいと見られたい」「化粧や美容で人から若いと見られたい」「ファッションに合わせた化粧をしたい」など、メイクに対する意識が高い

②自分を大切にしたい派  = メイクよりも土台で勝負
「特に化粧や美容について考えたことがない」の回答が多い一方、スキンケアやベースメイクを重視している

③人の役に立ちたい派  = メイクは身だしなみです。
メイクに特段のこだわりはないが、身だしなみという意識は他のクラスターよりも高い

④何事もほどほど派  = メイク? 特に何も……。
メイクでどう見られたいとか、どうなりたいかという意識は低い

⑤家族を優先させたい派  = メイクは人目があるから。
「化粧や美容は周囲から浮かないようにするため」「化粧や美容は人から悪く見られ ないため行なうこと」 という回答が他のクラスターよりも高い特徴がある

結論 マナーという視点だけでの結論は無意味

どの考えがイイとか悪いというものでもなく、環境や属性によってメイクに対する意識はさまざまというごく当たり前の結論です。

なのに「メイクはマナーだ!」と汚い顔したオッサンや、ザ・白塗りオバサンが好き勝手なことを言うし、「女性にメイクを求めるのは差別です!差別反対」と嫌メイク派(上記のクラスターのどこに分類するんだろう??)が無理やり一般論化しようとするから話がややこしくなるのです。

メイクをする目的や意味、価値観は社会の変遷とともに多様化した今、「マナー」という視点だけで何かの結論を得ても無意味でしょう。

私はメイクは楽しいと思っています。

今回参考にしたポーラ文化研究所の化粧文化を読んでみて、いつの時代にも「メイクは楽しい」と思う女性がいたのだろうと想像しました。眉全剃りやお歯黒に「これのどこが可愛いねんっ!」と悩んだり、西洋風流行りのなか和風の顔立ち悩んだりしながら、少しでも可愛く見える方法を模索していたのかもしれません。そんな先人たちがメイクの楽しさをつないでくれたと思います。

”女性のノーメイクはマナー違反” や ”女性差別につながるメイクはみんなでやめよう” だけが後世につながっていくのは、面白くない未来を作ってしまうようで、つまらないと思うのですよ。

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