モニカ・ヴィッティ追悼の疲労/映画批評がもたらす縁/都合よく被害者ヅラをするヤツら

まんざらでもない日記

2022年2月7日

2月2日にイタリアの女優モニカ・ヴィッティが亡くなった。享年90歳。
1960年代にミケランジェロ・アントニオーニ監督の「愛の不毛三部作」などで人気を博し、その後コメディ映画などでも活躍した。アンニュイで美しくて全然古臭くないモニカさん。

ちょうど先日から読んでいるドナルド・リチーの映画批評に「愛の不毛三部作」のひとつである『情事』(1960年)があったので追悼がてら見ることにー。

ブルジョア階級のアンナが恋人や友人らとともに地中海にクルージングへ。が、そこでアンナは行方不明になり、捜索する恋人サンドロと友人クラウディアが惹かれあっていくー、という話。モニカが演じるのはクラウディア。

ストーリーはいたってシンプルなのに、非常に難解。正直「この映画、どう見ればいいんですか!」と言いたくなった。前半、岩場だらけの島には強風が吹きつける。その過酷さと行方不明というミステリーが緊張感をもたらす。が、行方不明になったアンナはとうとう出てこない。死んだかどうかもわからない。説明的な台詞やナレーションは一切なし。感情に訴えかける音楽もなし。なのにやたらと意味ありげなシーンやカットが多くて悩ましい。

映画『太陽はひとりぼっち』

続いて見たのは『太陽はひとりぼっち』(1962年)こちらはアラン・ドロンとの共演。恋人と別れたヴィットリア(こちらもブルジョア)が母の投資を仲介している証券マン(ドロン)と恋に落ちるが―、という話。美しい2人に大恋愛を期待するものの、「愛の不毛」とわかっているだけに何も起こらないんだろうな、と思わせて案の定、何も起きないことをお得意の意味深カットで知らしめるアントニオーニ。

そしてももう1本は『赤い砂漠』(1964年) こちらは三部作のひとつではなく( 三部作のもう1本は『夜』)アントニオーニ監督初のカラー作品。
工場の技師の妻で神経症を患う女性をモニカが演じる。監督の色彩感覚にただただ驚かされる。ストーリーは他の2本よりも、よりハッキリとドンヨリしていてキツい。

モニカの追悼をと思ったのに、気づけばアントニオーニ監督の難解さを思い知らされグッタリ。映画ってホントに深い。


そんな難解な映画、自分だけで理解できるものではない。かといって、ネットで手っ取り早く「ネタバレ」とか「解説」とか「考察」とうたった記事を読んで、フムフムそうか、となるのも何か違う。その映画だけでなく、関連した映画や製作の背景(時代や思想)なども知りたい。もっとちゃんと映画を見たいと切に思う。

うれしいことにツイッターでそんな話をする縁ができた。鋭い読みを提供してくれたり、批評本のリストを作ってくれたり、アントニオーニ疲労にもお付き合いいただいてホントにありがたい。

ツイッターはどうしてもクソ情報が目に入ってくる厄介なものだけど、もちろんちゃんとした人もいるわけで、いい使い方をしたいと思う。


映画『ナイロビの蜂』

なんてことを言っときながら、ちょっとムカッとすることが。

映画『ナイロビの蜂』が反ワクチンや陰謀論者の間で話題になっている。
この映画は、ナイロビ駐在の外交官が妻の不審死から新薬の臨床実験を巡る真相に迫るサスペンス。この「新薬の臨床実験」が今の新型コロナのワクチンそのものだ、と反ワク勢が食いついているのだ。

たしかにアフリカで行われる不適切な治験と、これを隠蔽しようとする製薬会社や政府機関の実態を暴くストーリーではある。反ワク勢はこれをコロナワクチンに当てはめて、アフリカだけでなく全世界で利益目的の実験をしているだの、この映画の配信を止めているAmazonの動きは隠ぺいそのものだのと主張している。

映画をどう見ようとも自由だけれど、この映画がそんなふうに語られるのは悲しい。

この映画は特定の製薬業界や利権者を批難するものではない。先進国が貧しい国を犠牲にしている現実を訴えているのだ。その犠牲にしている国(映画はアフリカ、ケニア)には美しくも厳しい自然があり、そこで暮らす人々がいる。医療や技術の発展の恩恵を受けている先進国側からは見えない世界を壮大な現地ロケで映し出し、その上で夫婦(レイフ・ファインズとレイチェル・ワイズともに好演)の愛のストーリーともに「犠牲とは何か」を描いた傑作なのだ。

ちょっと熱くなってしまったけれど、言いたいのは、都合のいいところだけ拾って、勝手に被害者の立場に立つな、被害者ヅラすんな、ということ。 

以上です。

・配信されていないなら買うがよかろう。

・ジョン・ル・カレの原作も読むがよかろう。

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