2020年10月17日
タレントの光浦靖子さんが書いたコラム「49歳になりまして」が多くの人の共感を呼んでいる。
49歳になり「もっとほかの世界を知ることで強くいられるのではないか」という思いから留学を決意したという。子どものころからみんなができることはできない自分に悩み、進学した東京外語大でも英語が話せないことがコンプレックスとなった。芸人になり40歳を過ぎた頃から仕事が緩やかに減り、ネットの心ない言葉に傷つき「誰にも必要とされていないのでは」と悩んでいたと。
50歳を目前にした「このままでいいのだろうか」という思いはよくわかる。
私は47歳で仕事を辞めた。仕事の忙しさを言いわけに、生活や人間関係全般において酷く雑に生きてきた自分がイヤになっていた。仕事だってそんなに好きでもなければ一生懸命にやりたくもなかった。でもその「ふり」だけは上手だった。
50歳を前に、このまま「化けの皮」を被って生きていくのかと思うとゾッとしたのだ。
もっと普通にていねいに生きていきたい。
光浦さんのコラムを読んであらためてそう思った。

「ていねいな暮らし」というと、ナチュラリストとかエコロジストとか、地球環境がー、という少々アレなイメージがあるけれど、私は家事は電化製品にやってもらいたいし、物に囲まれて暮らしたいし、食事だって外食、中食、インスタントも好きだし、オーガニックじゃないワインだって飲む。
はたからみると「どこがていねいなんじゃ?」という状態でも、それが心地よくて心に余裕のある状態だったらいいんじゃない、と思う。
もうちょっと居心地よく生きたい、という思いに素直でいること。それが私のナチュラルライフ。
ーって、なんやこれ!むちゃくちゃ恥ずかしい言いっぷりやん!
で、社会全体で環境に配慮した「ていねいな暮らし」を、と始まったレジ袋の有料化。しかしこれが「買い物カゴ」の持ち去りとか「万引き」といった犯罪をを引き起こしているとな。
もちろんそんなことをする人のモラルの低さが問題なんだけど、こうしたニュースを目にしたときの不快感たるや。たかだかレジ袋でこんなに嫌な思いをさせられるとは。
人間の浅ましさここに見たりー、という気分を、ナチュラルライフ的にはどう処理すればいいんでしょうな。