○○さんじゃなきゃ、の危険/今こそ必見の映画/目からウロコの1冊

まんざらでもない日記

2021年2月12日

世の話題はこれ一色となった森喜朗氏の女性蔑視発言からの辞任劇。
謝罪会見が見事に火に油を注ぐことになり、内外のメディア、東京オリパラのスポンサー、ボランティアなどから批判の声が相次ぎ、ついに辞任となった。

森氏は失言として撤回したかったようだが、問題は失言ではなく考え、思想そのものであって、長年培われてきた「男性優位の感覚」に社会は批判の声をあげたのだ。が、この会見でも男性優位、権力者優位の感覚がモロ出しで、見る人を呆れかえらせてしまった。

さらに、物言えぬ体質やうやむやにしようとした組織の姿勢もあらわになった。そんななか、最後まで森氏の政治力、調整力を高く評価し、「森さんじゃなきゃここまでできなかった」という声もあって、心底げんなりした。

「○○さんじゃなきゃ」がありがたがられるのは恋愛だけ。組織の中でこの感覚があること自体、腐敗待ったなし、でしょうよ。


Columbia Pictures / Photofest / ゲッティ イメージズ

映画『ラリー・フリント』(1996年)がなかなか面白かった。
ポルノ雑誌「ハスラー」の編集長ラリー・フリントの「表現の自由」をめぐる実話に基づくストーリー。「ハスラー」はその過激な表現からあちらこちらで非難され、訴訟を起こされる。法廷をも侮辱するラリーの態度は不愉快で目に余る。私はこの手の笑いは結構苦手なほう。

が、弁護士が訴える「その表現は自分も好きじゃないけれど、自由を保障するこの国では寛大であるべき」には、たしかに、と思わされた。「嫌いだ」「不愉快だ」と感じる表現やそのものに対して、嫌いだという気持ちをぶつけることはできても、表現すること自体を封じ込めることはできない。映画は公人がこれをやると言論弾圧につながると指摘する。

では、誹謗中傷や名誉棄損、侮辱的表現をどう扱うかー。見た目以上にちゃんと社会派の1本。おすすめです。

2月10日、そのラリー・フリント氏の訃報のニュースが届く。この映画を見たのも何かの縁だったのかもしれない。合掌。


その「表現」について、たいへんいい本に巡り合った。『演劇入門』 劇作家、平田オリザの1998年の著作。

演劇を見てみようとか、もちろん演じてみようとか思っているわけではなく、パオロ・マッツァリーノの書評本『ザ・世のなか力 そのうち身になる読書案内』(*現在は『世間を渡る読書術』として、ちくま文庫より出版) で、おもしろい文章を書くにはー、ということで紹介されていたので読んでみた。

「おもしろい文章」が単に「笑える」という意味ではなく、興味深いとか読み入ってしまうとか、そんな文章を私も書きたいと思う。で、結構な量の文章本を読んできたけれど、そのときは「ほほう」と思っても、いざ実践しようとするとうまくいかない。文章を書く技術や知識に下支えされたものがないから、感情に頼るしかない。やたら砕けた言葉を使ってみたり、感嘆符や(笑)を多用したりしてしまう。フォント芸に走ったこともあった。結果「あぁ、書いている本人はおもしろいんだろうな」という文章ができ上ってしまうのだ。それはそれでいいのだけれど、それがはたしておもしろい文章なのだろうか、と、もう何年も堂々巡りしている。

この本は、そんな私が読んできた文章本とはアプローチがまったく異なる。だって演劇、戯曲のはなしですから。

リアルな台詞とはなにか、リアルとはなにかを技術的に解説しようとするこの本の”つかみ”は、まさに目からウロコもの。美術館を舞台にした芝居の幕が開き、そこに登場してきた人が「ああ、やっぱり美術館っていいなぁ」なんて言うセリフは不自然。そんな人はコントでしかお目にかかれない。美術館という言葉をセリフに出さずに、そこが美術館であると思わせるよう「遠いイメージ」から描いていくのがリアルな表現だと。

私が書くものは戯曲ではないし、セリフも出てこないけれど、映画や本のレビュー、この日記だって、自分の心に映っている物事や世界の「表現」なのだ。とかく独りよがりになりやすいこうした書きものを「おもしろい文章」として読んでもらうために必要なのは、リアルな表現、描写ということか。ついに私は堂々巡りの渦中から脱出できるのか。

昨夜はそんな「リアルな表現」を頭の片隅におきながら有名作家たちが書いたエッセイ『酒呑みに与ふる書』を(呑みながら)読んだ。心に映る世界のリアルな表現、描写とはこういうことなのか、と軽く打ちのめされて就寝した。

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