LGBTは生産性がない発言 ― 問題はそこだけじゃない!

LGTBコラム

2018年7月、自由民主党の衆議院議員である杉田水脈氏が、月刊誌「新潮45」の誌上で、

LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。

と発言したことに対して批判が殺到しました。

特に、「『生産性』がない」の部分に対し、

「子供を作るだけが生産性ではない」
「少子化対策のために子供を作っているんじゃない」
「だったら子供ができない人や障碍者はどうなんだ」

という反発意見が多い。

この反対意見はごもっとも。ですが、「生産性」云々もさることながら、この発言の前提にある、

LGBTだからと言って、実際そんなに差別されているものでしょうか。

という杉田議員の認識にはビックリ。 「えっ!?差別されていないの?」「LGBTって差別されてるんじゃないの?」と。ですが、こうした自分の思いもまた差別ではないのか、と考えさせられました。

LGBTは差別されていないのか?

杉田議員は欧米社会には宗教的背景によってLGBTを排除、迫害してきた歴史があったが、日本にはそれはない、と主張しています。

日本の社会では歴史を紐解いても、そのような迫害の歴史はありませんでした。むしろ、寛容な社会だったことが窺えます。

キリスト教やイスラム教社会のLGBT差別は映画にも多く描かれていて、私が強い衝撃を受けた作品もたくさんあります。

一例をあげると、

『リリーのすべて』
『キャロル』
『ボーイズ・ドント・クライ』
『ムーンライト』
『恋するリベラーチェ』

など。

さらに、LGBTを真正面から描いたこれらの映画のほかにも、『アイヒマンを追え ナチスが最も畏れた男』のバウワー検事や『アンダーテイカー 葬る男と4つの事件』のゲイの情婦(*短いけどとても心に残るシーンです。)など性的少数者が登場する映画は数多くあります。

こうした映画を見ると、LGBTが抱える社会的な生きづらさだけでなく「愛する人にその思いを届けられないー」という人間としての大きな苦しみに心が揺さぶられます。

杉田議員の考えを借りるなら、これらは欧米社会の認識であって日本社会には通じない、ということなのでしょうかね。いや、そうでないはず。

さらに杉田議員は、

LGBTの当事者たちの方から聞いた話によれば、生きづらさという観点でいえば、社会的な差別云々よりも、自分たちの親が理解してくれないことのほうがつらいと言います。(中略)これは制度を変えることで、どうにかなるものではありません。

と意見を述べています。極めて政治的ー、というか、政治家なんですが……。

たしかに親や身近な人に理解されないというつらさは大きいでしょう。が、「社会的な問題はさほどないでしょ」というのはキツイ。学校生活や就職、結婚というライフイベントにおいて差別があったとしても「親が理解してくれていたら、どうにかなるでしょ」「そういう差別にも屈しないように育てておくべきでしょ」ということなのか。だとしたら、なんと無慈悲で無関心で排他的な日本社会なんだろうー。杉田議員が目指す社会って、そんな社会なの?

LGBTに対する法的支援とは

ここまででも充分モヤモヤなんですが、さらにモヤモヤしながら世間が怒髪天を衝いた「生産性」発言を考えてみましょう。

例えば、子育て支援や子供ができなカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。

”子供を作らない、つまり「生産性」がないー”、ってスゴイ極端な発想。

私は自分の意思で子供を持たなかったし、今現在、国会議員のお墨付きをいただくような「生産的活動」はしていません。

が、税金を納め、医療や消防、警察、その他のさまざま社会サービスを受けて生活しています。これはLGBTの人々も何ら変わりはないはず。

そもそもLGBTに対してどれほど税金がかかるというのか。LGBTに対し現在どんな支援が行われ、さらに今後行われようとしているのか。恥ずかしながらまったく不勉強なため、これを機に調べてみました。

ザックリまとめると、

・性別変更に関すること
手続きの整備/性別適合手術の保険適応
・社会的権利の保障
同性婚/病院や相続上も家族として扱われること
・差別や偏見に関すること
いじめ防止/進学や就業上の性差別防止/自殺防止
・社会インフラに関すること
トイレや更衣室の環境整備
・その他
性感染症の予防

などがあります。家族として扱うことや、進学、就業上の差別をなくすこと、さらにトイレや更衣室の問題は、国よりも先に民間企業がLGBT適応を進めています。

同性婚を認め社会的権利を保障することが、そんなに税金がかかることなんでしょうか。

さらにモヤモヤさせる杉田議員の主張は、

(トランスジェンダー)は「性同一性障害」という障害なので、これは分けて考えるべきです。一方、LGBは性的嗜好の話です。最近はLGBTに加えて、Qとか、I(インターセクシャル=性の未分化の人や両性具有の人)とか、P(パンセクシャル=全性愛者、性別の認識なしに人を愛する人)とか、もうわけが分かりません。なぜ男と女、二つの性だけではいけないのでしょう。

”男と女、二つの性だけではいけないのでしょうか”

哲学的問いー、と思えば意味深いけれど、杉田議員は「男か女か、どっちかしかナイっしょ!」と言う立場で発しているだけ。杉田議員は「二つの性しかない」ということで苦しみ、そこから生まれた文学や芸術作品に触れてこなかったのでしょうか。

今からでも遅くないので映画を見ましょう。そして心を震わせながらLGBTについて考えてほしい。

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