『教養の書』戸田山和久 学び終わることのない喜び

本と読書

「教養とは何か」「なぜ教養が大切のなのか」なんていうと、ものすごく難しい話と思われがちで、いや、それなりに難しくなってしまう話で、この『教養の書』は著者がそのあたりのことを、ときにわかりやすく、やっぱりそこそこ難しく解説した本です。

著者の戸田山和久氏は科学哲学を専門とする哲学者。著作も多く、映画にも造詣が深い人物です。

 

で、この本は、大学生や大学進学を目指す高校生に向けて書かれている「体(てい)」となっていますが、大人が読んでも「なるほど!」と思わされることばかり。

いや、「なるほど!」とサクッと理解できるというよりも、より一層「教養ってなんだろう」を考えるようになり、「なんで学生でもないのに教養について考えているんだろう、どこに向かってんだろうワタシ」となる魅惑の1冊です。

 

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「読書の意義は何だろう」を教養の観点から考える

冒頭から映画や本がジャンジャン出てくるこの本。
第5章はズバリ「『読書の意義は何だろう』ということを教養の観点から考え直してみる」です。

教養と本を読むことの関係とは

取り上げているのはレイ・ブラッドベリの『華氏451』
1966年にフランソワ・トリュフォー監督によって映画化されています。(2018年のリメイク版もあります)

これを題材に「教養と本を読むことの関係」についてを考察しています。

『華氏451』のザックリとしたあらすじ

『華氏451』の世界は、近未来の全体主義社会。そこでは本を読むことが禁じられています。
その理由は、「われわれはみな似たようでなければならない。万人が同じになる。これがただ一つの幸福への道だ」というもの。

隠れて本を読んだり所有したりしているとわかると、当局によって焚書されるのです。

主人公は当局で焚書を担当する「ファイアマン」のモンターグ。

モンターグはあるときからファイアマンでありながら隠れて本を読むようになります。が、バレてしまい、焚書作業にあたる隊長に火炎放射器を向け、殺人犯として追われることにー。

モンターグは逃亡の中、秘密の隠し場所を「記憶の中」とする「ブックピープル」に出会います。本の内容をまるまる記憶する、つまり人が本になって伝え残そうとする人々がいたのです。

一方、モンターグの妻は、一日中TVを見たり、同じような友だちとつるんだりして毎日を過ごしています。が、心が満たされず薬物に手を出してしまうのです。

しかしこの世界では、中毒患者は救急隊員によって血液の総交換が行われ、たちまちスッキリ! あの血液クレンジングどころの話じゃないのです。

 

教養のある人の読書とは

『華氏451』の話が長くなってしまいましたが、ここからは『教養の書』に戻ります。

教養のある人、またはそれを目指そうとする人にとっての読書は、単なる情報収集ではない。
モンターグのように、本を読むことによって、本の背後に存在する人や、その人生に面白さを見い出す。そこにいない人や過去の人、架空の人物と対話する喜びを味わうのです。そして読書を通じて少しだけ新しい自分に変わっていくのです。

 

教養のある人の読書とはそういうもの。そしてその「本を読む」という行為・習慣も継承していく。この世から「読む」を絶やさないために読んでいる、と。

 

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自由であるための教養

「月に30冊読んでます!」と豪語する人の発言が、どうにも薄っぺらい(あ、ここからはワタシの意見です)のは、同じような自己啓発本ばかり読んで、同じような情報ばかりインプットして、同じようにアウトプットしているからではないかと。

自分を肯定してくれるような本ばかり読むのではなく、もっと「わからん!」「なぜだ!」に立ち向かっていき、著者と対話する「読み」が必要。そのためには教養が必要なんですね。

「教養を身につけるために教養が必要」とはインチキ理論じゃねぇか!と思うかもしれませんが、この本を読んでいて思うのは、「わかった」はゴールではないということ。

 

「科学哲学」という”科学を対象とする哲学的な考察”(身もふたもない説明 byウィキペディア)を専門とする著者だけあって、中盤は結構難しい話も多い本書。

ひとつのことを考えるときには、あらゆる方向や視点から柔軟に考える必要性がある、というのはよく言われることですが、この本に示されるのは尋常じゃない多角さと深さと柔軟さ。

これこそが教養なのかー、と半ば打ちのめされるような気分になります。

 

手っ取り早く「答え」や「結論」を知って自分流に行動する、そのほうが効率的で今風で自由に思えるけれどもそうじゃない。むしろ不自由なことかもしれません。

本当の自由は「教養」によって手にすることができるのではないでしょうか。

 

『教養の書』は学び終わることのない大人への1冊

本書のラストでは映画『キル・ビル2』を題材に、「無駄な修行はしたくない」という弟子(エリ)が陥る「学びそこね」を紹介しています。

無駄な勉強をしたくない、何かの手段として学ぼうとする人はうまく学べない。無駄かどうかは学んで、学び終わるまでわからない。学び終わることなんてないのです。

 

「なんで勉強しなきゃいけないんだろう」と思う学生さんはもちろん、「なんで今になって勉強してるんだろう。どこに向かってんだろう」と思う学び終わることのない大人にこそ、おすすめの1冊です。

 

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