『#Kuuto』石川優実  靴から考える本気のフェミニズム の本気の怖さ 

本と読書

女性が仕事でヒールのある靴やパンプスを履かなければならない風習をどうにかしたい。
同じ仕事に就いている男性はヒールのない革靴でいいのに、なぜ女性だけが? それは「性差別」ではないか。

#Kutooは、本書の著者、石川優実さんのそうした思いから発した社会運動です。
そしてこの本『#Kutoo  靴から考える本気のフェミニズム』は、#Kutoo運動の目的主旨とそれを巡る様々な反応をまとめたものです。

 

日頃からなんでもかんでも社会運動にする風潮がイヤだな、と思っている私は、当初この#Kutooに対しても「たかが靴のことでー」と思っていました。ましてやフェミニズムなんてー。

 

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なぜ#Kutoo運動は叩かれているのか、を知りたかった

私のような「社会運動ウザっ!」だけでなく、#Kutoo運動にはあらゆる批判が集まりました。この本では、それらの批判(この本では”クソリプ”と称されています)と著者による反論がTwitterの投稿をベースに、かなりのボリュームで綴られています。

私が知りたかった「#Kutooはなぜ叩かれているのか」という疑問は、ほぼクリアになるものでしたが、正直読んでいてツラい、かなり不愉快な読みものでした。

 

わざわざ社会運動にする必要があるのか(私と同じ、これが結構多いらしい)という意見のほか、「職場(問題提議のもととなったのは葬儀社)でパンプスを履かないのはマナーとしてどうなのか」、「性差別ではなく労働問題では?」といった、充分議論に値するクソリプではない批判もありました。

一方、曲解や嘲笑、著者のグラビア女優という仕事に対する偏見や蔑視にまみれたホントのクソリプも非常に多かったようです。

で、まっとうな批判も中傷も同等に扱い、”「物言う女」に嫌悪を抱くメンタリティーの危うさ” として晒す本書のスタイルに、もう一つの叩かれる原因を見た思いがしました。

 

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#Kutooは理解できても賛同はしない

「自分の職場に訴えればいいものを、なんでわざわざ社会問題にするの?」
「性差別とかフェミニズムの問題って、話を大きくし過ぎじゃない?」

そう思っていた私は、この本を読んだ今でも#Kutoo運動に賛同する気にはなっていません。

 

ただ、この本を読むことで、著者が抱く#Kutooを性差別の社会問題として世の中に訴える意義(個別の訴えでは変えられない、問題は解決しない/「女性だから」という理由だけで求められることは「性差別」にほかならない)は理解できたつもりです。

 

私は、個別の訴えで自分の周辺が変わるだけでも「まずはヨシ」とするタイプなので、労働問題や健康問題としてではなく、そこに絡む「性差別」にガッツリと碇を下ろし、まっとうな批判とクソリプの区別もなく、鎖ガマをブンブン振り回すー、そんな#Kutoo運動に近寄りがたさを感じてしまいました。

 

なぜ社会運動化されるのがイヤなのか

私はこの問題の「当事者」ではありません。「女性だから」を理由にパンプス着用を求められたこともなければ、仕事や冠婚葬祭で「パンプスじゃなきゃ失礼かな?」と思ったこともありません。

たまたまそれが許される環境にいただけのことで、特別な思想や活動によるものではありません。著者がいうところの「困っていない女性」(←この括りも雑ですが)なのでしょう。

石川さんは#Kutooに関して「全女性の意見を代弁しているわけではない」と明確な姿勢を示しています。パンプスだって履きたい人は履けばいい。パンプスじゃない選択肢があるべき、と言っているまでです。

が、社会運動の中で「困っていない女性」は、なぜか「女の敵は女」のポジションにおかれがちです。「困っていない女性」の存在が、あたかも「困っている女性」を苦しめているかのように描かれるのです。(注:石川さんはそうは言ってません)

そうじゃないのに。

 

Twitterを中心に展開される#Kutooやフェミニズム運動は、極論や嘲笑にまみれています。その中ではまっとうな批判や「困っていない」という宙ぶらりんな意見をも単純化、歪曲化されかねない怖さがあります。

本書は#Kutoo運動のそんなアグレッシブすぎる一面を少し和らげているのかと思いきや、見事に火に油を注ぐ、いや、本気の火元です。

けして「読みやすい」とか「わかりやすい」といった感想でお茶を濁す本ではありません。

読んで何を考えるかー、がすべての1冊です。ぜひ。

 

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