向田邦子作品の楽しみ方 大人になってわかること

向田邦子本と読書

向田邦子さんが亡くなって38年。1981年当時13歳だった私は、今年向田さんが亡くなった年齢になった。(*2019年6月時点)

テレビドラマの脚本、エッセイ、小説ー。向田邦子さんが残した作品は今でも、いや、この歳になった今だからこそ、その面白さがわかるようになった気がする。

向田邦子作品の面白さ

向田邦子さんの作品は、なんでもない日常を題材にしたものばかり。そのなんでもない日常の中にある「書きにくいこと」をサラリと書きぬいている。

女性がまだ「家の中」にいるのが一般的で、男の浮気や不倫にも寛容(?)だった古き良き昭和ー。そんなノスタルジックな気持ちで読んでいると、思わずドキリとさせられることがある。
この時代の人々、特に女性たちが「慎ましさ」の裏に隠していたさまざまな思いにドキリとさせられるのだ。

向田邦子さんと母の想い出

私の母は向田邦子さんが好きで、小説やエッセイをよく読んでいた。その記憶があるからかもしれないが、向田作品に描かれた昭和の生活や人間像、男女関係、女の心理は、私が抱く母の記憶につながっている。

向田作品の舞台となったのは「察する」や「推しはかる」が当たり前の時代。そこに登場する人々は、いちいち自分の思いを口にはしない。その口にしない思いを補いながら読んでいくのだが、完全に補いきれるわけではない。「え、そんな風に思ってたの?」と思うことがあるのだ。

この「え、そんなこと思ってたの?」「そんな風に人を見てたの?」という気持ちこそが、私が子供時代に母に対して何度も抱いたものだ。

子どもの私が表面的にしかとらえられないことの「裏」や「奥」を見ていた母。「○○は、実は△△よ」と教えてくれるわけでもなく、「裏」や「奥」を大人(の母)は知っている、と、短い返事や溜息、視線で匂わせるだけだった。

そんな母を鋭いなとも思ったし、なにより意地悪だなと思っていた。私は母のことをいろいろ口うるさく言う人だと思っていたけれど、実は言わない人だったのかもしれない。よく見ている人で私のウソやごまかしはいつも完全にバレていた。

「お母さんはこう思うわよ」と切々と教えられた記憶はない。昭和の人らしく「みっともない」の一言が注意であり、叱責であり、期待だったのだ。ときには世間や周囲の人々への妬みや嫉みの気持ちまでをも、その「みっともない」に込めていたのかもしれない。

向田作品といえば父

私には母の記憶につながる向田作品だが、作品自体は母ではなく父を描いたものが多い。

TVドラマ『寺内貫太郎一家』の父、貫太郎(小林亜星演)のような頑固で寡黙な昭和の男。

いまだにいるこのタイプの男性は「世の中ってこんな仕組みでしょ」「ずっとこんなふうにやってきましたよね」「それでうまく行ってましたよね」という男社会の遺物にしか見えないけど、向田作品の中の男性は、ちゃんともっと複雑。子供の頃から父がいなかった私に、男の寡黙の真意を教えてくれるのだ。

大人になってわかる 言葉にしていないことを読み取る面白さ

自分の考えや思うことを身近な人や知らない相手にも「言葉」で伝えることが必要になった時代。しかも「わかりやすく」。わかりやすい言葉で、誤解されないように、そこには「裏」や「奥」なんてあってはいけない。

でも、そんなふうにいちいち気持ちを伝えられるのはいちいち「説明されている」ようで正直うんざりしてしまう。それよりも言葉にしていないことを読み取ったときのハッとしたり、ニヤッとしたり、ゾッとしたりを味わいたい。

向田邦子作品を読むのが年々面白くなるのは、言葉にしがたい、したくない、してはいけない思いが、自分の中に蓄えられていくからなのかもしれない。

◆代表作の一つ 長編小説『あ・うん』

◆エッセイの代表作『父の詫び状』 向田作品の真骨頂

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