多くの小説が問いかける「私」とは何か。
芥川賞受賞作品となった本谷有希子著『異類婚姻譚』は、「私」が他者に取り込まれ境界がわからなくなる世界を描いています。
『異類婚姻譚』の内容紹介
旦那と顔が一緒になってきたことに気づいた主人公サンちゃんが、自堕落な夫に取り込まれるように「自分」、そして「人間」を失っていくお話。
結婚して4年。子どもはおらず、そこそこの高級マンションでサラリーマンの夫と猫と暮らす専業主婦のサンちゃん。刺激のない毎日だけれど、この楽園を抜け出したくないと思っています。
気になるのは、このごろ自分の顔が夫と同じになってきたことー。
そんなある日、同じマンションに暮らす年上の女性キタヱさんから粗相が激しいために飼えなくなってしまった猫について相談され、サンちゃんはその猫を山に捨てに行く手伝いをすることになります。そこでサンちゃんは、キタヱさんの夫・アライ主人に「あなたはもう少し、ちゃんと人の形をしてたかなあ」と言われます。
一方、夫は「難しい話なんてしたくない」と、スマホのゲーム以外は ”なにもしない人” になっていき、やがて有給休暇をとって、家でなぜか揚げ物を作り始めます。
だんだん主婦化していく夫と、入れ替わるように自堕落になっていくサンちゃん。
そして、夫はー。
夫婦は似てくるもの?
「夫婦は顔が似てくる」、心理学者が言うには「長年、一緒に過ごすことで表情やしぐさが似てくるから」だそう。が、この『異類婚姻譚』にはそんな仲良し夫婦のほほえましさはなくて、どんどん不気味になっていきます。
夫婦の距離が近すぎることで自分とパートナーの境目がなくなり「自分らしさ」や「人間らしさ」を失っていく。この感覚って怖い。けれども確かにある。
ある日、主婦化した夫 が「この四年で、サンちゃんが一度でも自分から働きに出たいって言い出したこと、あった?」と言い出します。これはサンちゃんを責めているのではなく、「サンちゃんだって大事なことに向き合いたくないんじゃない?楽をしたいんじゃない?」というサンちゃんの本心をついてくる言葉でした。
いかん!夫婦が本心をぶつけ合ったら、ろくなことにはならんのです。
まさか、ラストに夫がこうなるとは……。
評)人間との結婚も「異類」と紙一重?

「異類婚姻譚」とは、人間ではないものとの結婚を描いた説話(神話や民話)の総称です。「鶴の恩返し」や「浦島太郎」もそう。異界に対する畏れや社会のタブーなど、昔の人が「人間以外のものとの結婚」に反映させた思いは、考えれば考えるほど深くて怖い。
表題作『異類婚姻譚』は、なにと結婚していたのかハッキリわからない話ですが、よりハッキリと「異類」との結婚を描いた3つの短編が納められています。
『犬たち』は、山小屋で暮らす女性が犬と同化するお話。
『トモ子のバウムクーヘン』は、自分の生活すべてが何者かに支配されてた ”途中で消されてしまうクイズ番組”と理解した主婦の話。
そして『藁の夫』 これは藁と結婚した女の話(こちらもトモ子さん)です。
藁ですよ、藁、夫が。
この藁夫が、トモ子が車のシートベルトを無造作に外すもんだから車に傷がついたと文句を言い出し「わざとしている」と怒り出すんです。で、パラパラと落ちるわけですよ、藁だから。
で、なぜか体内(というか藁です)から楽器がジャンジャン出てくるんです。
人(というか藁ですが)の内側は、思いもよらぬものー、というメタファーなんですかね、コレ。
私は人間と結婚していますが、サンちゃんと同様、子供もおらず、働きにも出ていない身。
顔が崩れていないか、自分と他者(特に夫)との境界が確かなものであるか、「私」は「私」であるかを確認せずにはいられなくなる。
そう思わせる1冊です。