いまさら見ていない、実はよくわからなかった、とは言えない映画を見てみよう

映画

若い頃「この映画を見ていないとカッコ悪い」という思いから見た映画が何本もあります。
ハリウッドの娯楽映画ではなく、ちょっと昔のヨーロッパ映画あたり。ゴダールとかトリュフォーとか。

そのほとんどが良さがよくわからない映画だったのに、「さすがゴダールですよね」とか、「ネオ・ヌーベルバーグも来てますよね」とか、ちょっと映画わかってます風を気取っていたのだからホントに恥ずかしい。

「見ていない」とは言えないし、「見たけれどもよくわからなかった」とも言えない。若さとはそういうものでしょう。

そこで、そんな若い頃にイキって見てみたものの、実はよくわかっていなかった映画を見直そうと思いまして、という話です。

なぜ「その映画、見ていない」と言えないのだろう

その前に、なぜ「見ていない」と言えないのかについて。性格が素直じゃないからー、だけではないようです。

雑誌『BRUTAS』2017年12月1日号(特集:いまさら観てないとは言えない映画)の中で、映画評論家の渡邉大輔氏は、「映画が”教養”として”消費”される時代があったから」と解説しています。

1980~90年代固有の価値観

「見ていないとカッコ悪い」というのは、映画が一種の教養文化だった1980~90年代固有の価値観。VHSの普及やミニシアターブームによって多くの映画が見られるようになった。さらにこの時代、映画がハイカルチャー化したことも「見てないとカッコ悪い」=「見ていないと言えない」の要因と渡邉氏は分析しています。

ちなみに70年代までの映画は、大衆が自由に楽しめる猥雑なサブカルチャーだったと位置づけられています。一方いまの若者は、80~90年代当時よりもさらに簡単に情報が手に入る環境に育ち、趣味が細分化したため「見ていないと恥ずかしい」という感覚はないといいます。

なるほど。1980~90年に10代~20代のイキり盛りを過ごした私が「『第三の男』は傑作ですよね」とか「『灰とダイヤモンド』のあの雰囲気がイイですよね」とか言っちゃってた原因はココにあったのです。

同調と自己承認欲求

さらに同書では、心理学者の川畑秀明氏が「見ていないと言えない」要因を”同調”と”自己承認欲求”によって説明。こちらは現在にもあてはまりそう。長いものにまかれていないことへの不安や自分を良く見せたいことへのジレンマ。問題となったファスト映画の背景にも通じるものでしょう。

スター・ウォーズシリーズとか、アベンジャーズとか、ジブリとか、そういった超人気映画をほとんど見ていない私ですが、同調圧力は感じないので、こっちは大丈夫かな(何が?)、と。

実はよくわかっていなかった映画+いまさら見ていないとは言えない映画

というわけで、これからちゃんと見直したい、見ておきたい映画をピックアップしておきます。(順不同)ヨーロッパ映画多めです。レビューほか、なんらかの記事化は後日。

『灰とダイヤモンド』(1958年・ポーランド)アンジェイ・ワイダ監督

『バグダッドカフェ』(1987年・ドイツ)パーシー・アドロン監督
 
『81/2』(1963年・イタリア・フランス)フェデリコ・フェリーニ監督

『嘆きのテレーズ』(1953年・フランス)マルセル・カルネ監督

『アラビアのロレンス』(1962年・イギリス・アメリカ) )デヴィッド・リーン監督

『ブリキの太鼓』 (1979年・ドイツ・ポーランド・フランス・ユーゴスラビア)フォルカー・シュレンドルフ監督

『甘い生活』(1960年・イタリア・フランス)フェデリコ・フェリーニ監督

『ベニスに死す』(1971年・イタリア・フランス・アメリカ)ルキノ・ヴィスコンティ監督

『暗殺のオペラ』(1970年・イタリア)ベルナルド・ベルトルッチ監督

『かくも長き不在』(1961年イタリア・フランス)アンリ・コルピ監督

『アラバマ物語』(1962年・アメリカ)ロバート・マリガン監督

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