初ゴーヤとピーマンのその後/『多読術』を読んで/東ドイツの歴史を

まんざらでもない日記

2022年8月29日

もうすぐ夏も終わる。今年初めて植えたゴーヤとピーマン。 
特にゴーヤは想像以上に成長が早く、どんどん蔓が伸びていく。その蔓が行き場をなくさないように支柱やネットを日々拡大した。

数少ない雌花の茎が膨らみゴーヤ成長していく。食べ時を見極め収穫。あまり大きくならなうちに黄色くなってしまった実もあったが、これは熟してきた状態らしく食べても問題ないらしい。食べてみると緑のゴーヤほどの苦みもなく美味しかった。

ピーマンもそう。どんどん成長した。こちらも大きくならないうちに赤くなってしまったものがあったがこれも美味しかった。収穫って楽しい。(ちなみに赤くなったピーマンとパプリカは別モノです)

期待ほどの大収穫ではなかったけれど、改善点をふまえて来年もまた挑戦したい。
1.プランターはもっと大きなものを。土の養分、大事。
2.蔓は伸び放題にしない。剪定、大事。

それにしても暑い夏だった。次はバナナでも育ててみるかな。


先週にひきつづき怒涛の鬼読中。
『多読術』(松岡正剛著・ちくまプリマ―新書)読了。

”読書は自分を映す鏡” ”読書は編集だ” ”書物は読み手がいつどのように読んだかという条件とともに生きている” という著者。本書の大半はその圧倒的な読書遍歴の開陳で、インタビュー形式なので平易かと思えばそうでもなかった。言葉も難しいし話が奥深くなりすぎるし(著者自身が”書評や文芸評論が「本の会話のあり方」を難しくしすぎている”といっているにもかかわらず、ですよ)、正直著者の知のレベルに追いついていけない。

が、そうやって読み進めた先には腑に落ちる点が多々あった。

本来、書物や知は人類が書物をつくったときからずっとつながっている。書物やテキストは別々に書かれているけれど、それらはさまざまな連結と間断と関係性を持ってつながっている。

『多読術』より

同時に複数冊読む、類書や似たような本はなるべく一緒に読むか、近い時期に読むと。そのほうが早く読めるし頭にも入りやすいと。そして、そのネットワークしていく本の中に「光を放っている1冊(キーブック)」があるという。なるほど。これは映画にも同じことが言えると思う。

何かを起点として本や映画のネットワークによって「知の世界」が広がっていく。おもしろい。


その「キームービー」になりそうな1本。映画『善き人のためのソナタ』(2006年)について。

1980年代の東ドイツが舞台のこの映画。シュタージ(秘密警察)職員の男性がある要注意人物の”盗聴を通じて心を揺さぶられていくー、というもの(ザックリでスイマセン、レビューは後日)。
ここにはレビューからはみ出そうなことを書いておきます。

この映画のラストの”美しい感動”を、ベルリンの壁の崩壊に象徴される民主化と同一視してしまうことに違和感があった。主人公は「社会主義国家の忠実な臣下」だったのか。どうにもその人間性を理解しきれていない気がしてこんな本を読んでみた。

『東ドイツの人々 失われた国の地誌学』(ヴォルフガング・エングラー著/未來社)

ソ連の影響下にあ国家体制やシュタージによる監視の中で、東ドイツの人々はどう生きていたのか。
ナチスドイツという背負わされた罪。反ナチスであったはずの社会主義国家が同じような独裁体制となっていく矛盾。他者と比較、区別する必要のない平等な社会の中で「ありのまま」で生きることの難しさ。「自由」が本当に幸せなのかー。

失われた国、東ドイツの歴史から伝わる緩やかな衰退が、体制の異なる今の日本で実感するのはなぜだろう。

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