主権が揺るがされる脅威/フェミ批評家をめぐるネット論争/傍観者であるという痛み

まんざらでもない日記

2022年1月24日

ウクライナ情勢について、といっても難しい話じゃない。というか、こういう問題を難しがってはいけないと思い、あるドキュメンタリー映画を見た.

Netflix

『ウィンター・オン・ファイヤー: ウクライナ、自由への闘い』(2015年)Netflix公式
  
2014年当時、親ロシア派の大統領が一旦は決定したEU加盟を白紙撤回。これに対し大規模な抗議デモが発生。デモ隊とウクライナ民警(ベルクト)との暴力的衝突の末、大統領は失脚しロシアに亡命したー、という一連の紛争をデモ隊側から映し出すドキュメンタリー。救護所を攻撃するなどベルクトの行為は鎮圧というレベルではなかった。

内紛ではあるものの、当時の政府軍の背後にロシアがいるのは自明のこと。その後ウクライナは政権交代を成しえたものの紛争の火種は抱えたままなのだ。

今、ウクライナのNATOへの加盟をめぐって軍事的緊張状態にある国境地帯。ロシアにはいまだに「旧ソ」という概念が色濃く残っており、隣国の主権を脅かしている。

追記)2月24日、ロシアはウクライナに軍事侵攻。国境地帯だけでなく全土に対し砲撃を開始した。
国際社会はウクライナを支援しロシアへの制裁を加えているが、8月現在いまだ解決のめどは立たず。


世界レベルの紛争の一方、身近なところでも紛争が起きていた。

先週の日記にも書いたとおり「批評」や「読解」の勉強を楽しく続けている私。そのきっかけとなったのは『お砂糖とスパイスと爆発的な何か― 不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門 ―』というフェミニスト批評の本。で、もっと批評について知りたいと思い『批評の教室 ― チョウのように読み、ハチのように書く ―』を読み始めた。が、これが私にとっては難解で、ほかのもっと簡単そうな「読み」や「国語」レベルの本で頭をならし、そろそろ『批評の教室』に戻ろうかな、と思った矢先、著者の北村紗衣さんがけっこうな騒動の渦中にいると知った。

Twitterで部分的に切り取られる情報では確かなことはわからない(経緯についてはこちらを参照にされたし) 。わからない以上、SNSやブログに意見やつぶやきを書くのは控えたい。が、わからないなりにも「イヤな言い分だな」と感情が刺激されるツイートも多い。とりわけ「こんなことをしている北村さんって批評に関する本を出してるというけれど、批評家としてどうなの?」という類の言葉にはムッときた。

が、「単なる疑問ですよ」といわんばかりの文面にも嘲りの気持ちを読み取ってしまうのは、今の自分の気持ちが北村さんの本を読んで良かったと思っている地点にあることも自覚しておきたい。


この騒動で思うのは、私も含めて大半が無責任な傍観者であるということ。

批評の勉強の一環で読んだ『Viewing Film 映画のどこをどう読むか』(ドナルド・リチー著 )で取り上げられている映画『忘れられた人々』(1950年/ルイス・ブニュエル監督)の中に、少年が中年男性にお金を握らされてなにやら言い寄られているシーンがある。買春を思わせるシーンだが、ここには一切の音がない。どんなやりとりがなされているのかがかわからない。カメラもショーウィンドウを隔てた場所から捉えている。

映画を見ている側は完全に傍観者にさせられ、ともすればこの買春を黙認することにもなってしまう不快感たっぷりなシーンである。そこにブニュエル監督の意図があるとリチーは批評している。これと同じようなシーンはミヒャエル・ハネケ監督の映画『ハッピーエンド』の中にもある。

自分に関係のないこととはいえ傍観するのは多少なりとも心が痛む。ネットの論争にひとこと言わずにはいられない人は傍観者でいる痛みを和らげたいのかもしれないし、もはや痛みも感じていないのかも。いずれにしても、自分の痛みを和らげるために論争の当事者に痛みを与える道理はない。

私は、自分は無責任な傍観者であるという痛みをしっかり抱えていたい。

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