キャプテンアメリカと自由/いま思うと恥ずかしい/差別の根底にある不安

まんざらでもない日記

2020年6月6日

ロードムービーの記事を書くために、『イージーライダー』を久しぶりに鑑賞。
1969年公開のこの映画を始めて見たのは、20歳前後の1990年頃だったと思う。
当時は自由を求めてさすらうワイアット(通称キャプテンアメリカ)に共感して、体制への反逆とか支配への抵抗とか、そんな若者らしい気持ちを持ったような。


-Kobal/COLUMBIA/TheKobalCollection/WireImage.com

が、50歳を過ぎた今、この映画をどこか醒めた目で見てしまうことに気づいた。
当時のカウンターカルチャーを象徴するものとして「消費されすぎた」この映画は、1960~70年代がホントに遠い昔になってしまったことを淡々と示しているー。
そんなふうに見えてしまうのだ。

 

これと同じような思いをしたのが太宰治の『人間失格』
何度か読み返すうちに、主人公・葉蔵の気持ちで読めなくなっていることに気づいた。

少し寂しくはあるけれども、「別の視点を持った」という、これも一つの成長なんだろう。

 

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1990年代にも、映画『イージーライダー』は若者をかぶれさせる力は充分にあった。
といっても思想ぬきの単にファッションとして。

当時、友だちが集まる家では、TVに音を出さずに映像だけを流すのが流行っていた。
たぶんどこかの飲み屋の真似をしてたんだろう。
当時はどの家のTVも小さかった。液晶でもプラズマでもない小っちゃなブラウン管TVに精一杯オシャレな映像を流しては満足していた。
その流す映像の鉄板が『イージーライダー』だったのだ。

『俺たちに明日はない』とか『スティング』とか『スケアクロウ』などのアメリカンニューシネマのほか、もっと昔のオードリー・ヘップバーンやマリリン・モンロー映画、さらにはもっと古い1930年代のフレッド・アステアのミュージカルも好きだった。

映画の内容はよく覚えていないし、いま思い出すと恥ずかしいけど、大画面でやってみるのもいいかも。

 

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宇多田ヒカルのTwitterでの発言がちょっとした話題となっている。

アメリカで起きている黒人差別への抗議デモに関して、「日本で生まれ育った日本人からすると人種差別っていまいちピンと来ないかもしれないけど、今アメリカで起きていることは未来の世界史に載るような歴史的な局面かもしれない…というかそうであってほしい」と、言及。そして、「アメリカの、黒人に対する差別というのは、単に人が別の人種の人を見てなにか差別的な感覚を抱くっていうような人種差別の話ではなくて、国家・社会の仕組みの根深い問題」と説明した。

 

黒人差別を扱った映画(『ミシシッピー・バーニング』 『ブラック・クランズマン』 『デトロイト』など)を見て思うことに近い。

人種差別の底には、人種に限らず「自分と他者」との間にある様々な違いを区別して、比較して、正否や優劣をつけなければいられない「不安」があるのだと思う。
多民族国家のアメリカは、国として区別する政策をとった歴史があり、いまだにそれが尾を引いている。

が、区別して、優劣をつけて安心したがる癖は誰にでもある。

この悪癖から「自由」になりたいと、キャプテンアメリカは願ったのかもしれない。

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