ブロガー同士で馴れ合いたくない!  書く目的を見失わないために知っておくこと

ブロガー同士で馴れ合いたくない!  書く目的を見失わないために知っておくこと

なにかと批判されることの多い「オンラインサロン」や「ブログセミナー」。

ブロガー同士の「 馴れ合い 」は、そういう界隈にある「露骨なヨイショ」に限った話ではありません。

どこにでもある、でもちゃんと考えておきたい話です。

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お金が絡まなくても「 馴れ合い 」は起こる

影響力のある人の周りに集まり、その人から提供される情報を得て、その人もまた誰かに寄与していくことでネットワークは形成されます。

「お金」やお金につながる貴重な「情報」や「人脈」といった「利益・利害」がハッキリしたブログコミュニティもあれば、「お金」や「利益」は関係ない、「ただつながりたいだけ」という「無益」のブログコミュニティもあります。

 

「馴れ合い」は、このどちらでも起こります。

 

前者は「お金や情報、人脈のためー」と、ある意味慣れ合う「目的」がハッキリしています。

これに対して後者は、「つながるため」であり、「交流」と「馴れ合い」との境目があいまいです。

 

「無益のコミュニティ」に価値を感じる人は「馴れ合い」と言われると、さぞカチンとくるでしょう。

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「馴れ合い」の原因は、「目的の喪失と変容」

無益のコミュニティほど、それぞれがどういう目的をもって参加しているのかわかりにくいという側面があります。

 

ブロガー同士のコミュニティでは、お互いのサイトを閲覧し合ったり、コメントし合ったりすることでPVも増え、ブログが活気づきます。

確実な反応を得られることがよりどころとなり、「あの人が読んでくれる」「あの人に向けて書く」というブログを続けていく強い支えとなります。

 

こうした「充足感」を得ることが「無益のコミュニティ」の最大の利益であり、そこにい続ける目的になるのでしょう。

 

しかし、一旦そのつながりができてしまうと、例えば面白い記事や刺さる記事を書かなくとも、コミュニティにいられなくなるわけではないのです。

お互いが「書き手」であり「読み手」であるという「共同性」に価値を感じるようになり、今度はその共同性が「充足感」を生み出していくのです。

 

当初はそれぞれの目的としてあった「書くこと」よりも、つながること(共同性)が大切になってしまうでのす。

 

「アレ? 自分はなんで書けなくなったんだろう?」

「自分は何のために書いてるんだっけ?」

「みんなが読んでくれるからこれでいいか」

 

目的を喪失していることに気づかないまま、あるいは気づいているのに気づかないふりをして、いよいよ「馴れ合い」から抜け出すことができなくなります。

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つながることを求めすぎない

馴れ合い

ただでさえしがらみの多い社会の中で、せめて「書くこと」だけは、「仲間意識」とか「共同性」というものにとらわれたくないと思っています。

 

書くことの目的は「つながること」だけじゃないはずです。

むやみに「つながること」を求めすぎると、今、思うことを書けなかったり、「馴れ合い」や「惰性」に堕ちてしまうのではないかー。

 

私は自分が思うことや感じたことを正直に書き、世の中の強風に晒しておきたいのです。

5年、10年経ったときに、自分の考えが見るも無残にボロボロになっているかもしれないし、骨だけは残っているかもしれないけどー。

それを見て、泣いたり、笑ったり、恥ずかしがったりしながら書き続けたいのです。

 

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