「ですます調」か「だである調」か、ブログではどう使い分ける?

ですます調 書きものブログ作りとライティング
スポンサーリンク

ブログやコンテンツ記事をどう書くか、その悩みどころの一つは「文体」です。私自身は、いわゆる「ですます調」といわれる「敬体」で文章を作ることが苦手です。

 

しかし、いま、こうして「ですます調」でこのブログを書いています。

今回は、語りかけ具合を多めにしたちょっと気持ち悪い「ですます調」で、「文体問題」を考えてみたいと思います。

 

【このブログは、その後「ですます調」ではなく「だである調」でも書くようになりました。そのあたりの心境と事情について文末に加筆しています。】

では、あらためまして、どうぞ。

スポンサーリンク

クラウドソーシングの記事依頼の多くは「ですます調」です

クラウドソーシングの記事作成の多くは、「ですます調」で依頼されます。

 

 

ダイエットや美容、子育てなどの女性向きのコンテンツ記事だけでなく、ビジネス関連や金融、保険や法律などの、ちょっとお堅い系のジャンルでも、ほとんどが「ですます調」です。

「ですます調」は、柔らかく親しみやすい印象

「ですます調」は、柔らかな印象があり、親しみやすさを感じさせます。

読み進みやすく、読む人の共感を得やすいという「コンテンツ記事」本来の目的にかなう効果もあります。

 

が、「-です」「-でした」「-ます」のように語尾が単調になるため、稚拙な印象になりやすい。

そこで、単調にならないように、と使われるのが「-ではないでしょうか」や「-と思いませんか」「-ですよね」という「問いかけ」や「語りかけ」です。

ネットで目にする文章には、こうした「問いかけ」が多いと思いませんか。(←こういう文章です)

 

クラウドソーシングで求められる「ですます調」は、この「問いかけ」「語りかけ」込み、いや「ありき」なのです。

「だである調」は、説得力がある

一方、「だである調」は、「ですます調」に比べ固い印象がありますが、語尾のバリエーションが豊富で端的なため、無駄がなく説得力もあります。

ニュースサイトや新聞、論文、論説で「だである調」が用いられるのは、このためです。

スポンサーリンク

「ですます調」と「だである調」は距離感が違う!?

堅苦しくない「コラム」や「エッセイ」にも、「だである調」で書かれたものはたくさんあります。

たとえば、私が好きなコラムニスト、中野翠氏のコラムはこんな感じです。

ある民放のニュース番組のキャスター(局のアナウンサー)がニュースを伝える中で「初対面」を「ハツタイメン」と言っていた。エッ?ショタイメンじゃないの?と、ちょっと驚いて辞書を引いてみると、うん、やっぱりハツタイメンという言葉はなかった。

<引用:中野翠『TOKYO海月通信』毎日新聞社2017年>

「エッ?」や「うん」「やっぱり」などの話し口調を使っているので、堅苦しくない小気味よさがあります。

 

 

 

もう一人。コメントに火が付きやすい社会学者の古市憲寿氏の著書から。

せっかく会社に入ってはみたものの、使えない上司と面倒くさいクライアントの中で働くのも限界。そんな人に魅力的に映ったのが「ノマド」という働き方だ。(中略)
しかし、「ノマド」なんて実はちっとも新しくない。歴史を振り返ってみれば、いつだって「ノマド的なもの」を褒め称えるメッセージは現れては消えていった。 

<引用:古市憲寿『だから日本はズレている』 新潮新書 2014年>

ぜんぜん堅苦しくありませんし、コメント同様にキレがイイ。

 

 

「ですます調」と「だである調」の違いは、柔らかいか固いかというよりも、読む人との距離感の取り方にあるのではないでしょうか。

 

「ですます調」は、親しみ(?)をもってグイグイ近づいてくる感じです。

特に、アフィリエイトサイトの記事などでは、「いかがでしたか?」「気になっちゃいますよねー」といった具合で、読み手に判断の余地を与えません。

 

かたや「だである調」は、ちょっと突き放した感じ。

「事実と私(書き手)の見解は伝えたので、あとは自分で考えてみれば」という感じです。

 

一見、冷たいようですが、与えられた情報量も多く、実は「だである調」も親切なのかもしれません。

 

また、中野氏や古市氏のコラムのように、新聞や論文とは異なる「フランクな『だである調』」では、書き手の考えを、ちょっと離れたところからニヤニヤにしながら読む感覚になります。

で、そうやって、ニヤニヤしているときに、「ーって思いませんか」とあえて「ですます調」で切り込んでこられ、不意を突かれる感じもまたいいんです。

 

ウディ・アレンの映画によくある「急にこちらに話しかけてくる」手法ー「第4の壁を破る」、あの手法です。

私は、この「ちょっと離れたところ」のほうが心地よく、それが「だである調」好き、というか「ですます調」キライになっていたんだと思います。

スポンサーリンク

このブログを「ですます調」で書く理由

こうして「ですます調」を散々ディスってきましたが、このブログはですます調で書いています。

これは、ほかでもなく「ちょっと距離を縮めたい」という下心の現れー、たぶんそうです。

 

ま、語尾なんて「ですます調」でも「だである調」でもどっちでもいいんです。

「ですます調」と「だである調」の混在はいかん!読みにくい!と言われますが、混在している魅力的な読み物だってたくさんあります。

というわけで、「文体問題」は解決です。

スポンサーリンク

ブログの文体問題再びー書き分けと混在について(2018年8月21日追記)

以上のように、いったん解決した「文体問題」でしたが、このブログの最近の記事には「だである調」で書いたものがあります。

もちろんまったく無自覚にそうしているのではなく、ザックリいうと、

・「自分はこう思う」「こんなことを考えた」というオピニオン系の記事は「だである調」で書く
・映画レビューやコラムなどの情報系記事は「ですます調」で書く

という使い分けをしています。

 

で、なぜそうしているのか、というと、

・オピニオン系の記事を「ですます調」で書くと、「自分の意見」としての熱量が小さくなってしまう
・情報系を「だである調」で書くと、押しが強すぎて圧迫感がある

という考えからです。

 

ブログを続けるうちに、自分の意見や考えを押し出す記事も増えてきました。

こうした傾向は「ブログの成長」としては好ましいことだと思っているのですが、やはり「文体」とのミスマッチはどこかの時点で整理しておきたいー、と考えました。

 

といっても、厄介なことに「自分はこう思う」と「これはおすすめですよ」はキッチリ分けられるものではなく、一つの記事にこれらが混在することも多々あるわけでー。

結論は前と同じ、ブログの語尾は「ですます調」でも「だである調」でもどっちでもいい、です。

 

ただ、今回そこに私なりの明確な理由が加わったことをご報告しておきます。

タイトルとURLをコピーしました