「TVも新聞も見ない」にも流派がある/「信じる」って実は重い/読書の秋、始まる

まんざらでもない日記

2021年9月15日

最近よく目にする「TVも新聞も見ない」にもいろいろある。「必要な情報はネットで得る」には違いないが微妙に異なる流派(?)が入り乱れているのだ。

ネットの情報といってもTVや新聞などのマスメディアが作っているものも多く、ほとんどのニュースはWeb版で代替可能。TVを持たない、新聞を購読しない、断捨離にもなる。これはよくわかる。

一方、マスメディア発信の情報ではなく、ネットTVやYouTubeチャンネル、SNS、ブログ、メルマガなど独自の情報源を重視する人も多い。後者になればなるほどマスメディアの情報から距離置く性質が強い。そしてこれら「TVも新聞も見ない」の対極に「TVと新聞しか見ない」人たちがいる。

「TVと新聞しか見ない」人たちは「TVも新聞も見ない」人たちに「情弱」と揶揄される。ネットに疎い高齢者を指しているのだろう。「マスメディアの報道はウソだらけで洗脳されている!」とまで言う人も。今のマスメディアの一辺倒な報道にウンザリしているのもわかるけれど、これはこれで極端な言い分でもある。

TVもそこそこ見て、新聞も読んで、ネットはニュースサイトも個人ブログも見るし、SNSもする。動画配信も見るし、雑誌はサブスクで読んで、その他の本も読む。そのうえで思うのは、情報自体に大差はないということ。

前述したようにネットにもマスメディアの情報が転用されているし、新聞には「報道」だけでなく、オピニオンや特集、読者の声など様々な「意見」がある。TVはたしかに煽りがキツい一面はあるけれど番組はまだまだ多様である。ネットにしかないと言われる情報に至っては、真偽や鮮度も含めてまさに玉石混淆。どのメディアから情報を得るかというよりも、要は情報の受け取り方にあるのでは。

「TVも新聞も見ません、マスメディアには騙されません!」と公言するのは、「私は自分が信じたくないと思う情報は目に入らないようにしています」と言ってるようなもので、ある意味「洗脳のお膳立て」ができている状態にも見えるのだがー。


「信じるか信じないかは、あなた次第です」は、都市伝説芸人の決め台詞だが、なんでもかんでも「信じるか信じないか」で反応してしまうのは危うい。

新型コロナの感染対策をすることも、ワクチンを打つことも、国の方針や専門家の意見を「信じている」からでもないし、ワクチンは危険という人の意見を「信じていない」からでもない。いろんな情報を得たうえで、自分が思う現状の最も合理的な判断をしているだけなのだ。「信じるか信じないか」に自分を追い込まないためにも、「考える材料としての情報」にこれからも触れていきたいと思う。

で、「信じる」って、実はすごく重いことだよな、と、考えさせられた映画を1本。

『魂のゆくえ』(2017年)

(C)Ferrocyanide, Inc. 2017. All Rights Reserved.

信仰について迷いを持ち始める神父の話で、主演はイーサン・ホーク。救いを求めてきた環境保護活動家の夫婦との出会いによって心が大きく揺さぶられる神父(ザックリでスイマセン)だが、出来事はあくまでも「きっかけ」。もともと自分の中でくすぶり続けていたものによって「自壊」していく神父の姿が痛ましい。

自分を信じられない痛み(この映画のイーサンの痛々しさは名演!)って如何ばかりか。信仰心の薄い私には想像しきれないけれど、簡単に「信じるか信じないか」なんて言うもんじゃないな、と思った。


緊急事態宣言は延長されたが公立図書館が再開することになってホッとした。借りられないとなると買うしかなく、このままだと財政破綻の危機にー。

ずいぶん前に予約した本も含め、一気にやってくるもよう。以下のラインナップ。読書の秋がはじまる。

『ファットガールをめぐる13の物語』 モナ・アワド
自分の身体のサイズにコンプレックスを抱きダイエットをする主人公だがー、という小説

『宗教と過激思想 現代の進行と社会に何が起きているか』 藤原聖子

イスラム、キリスト教ほか宗教思想に通底する「過激」の本質を明らかにする評論

『仁義なきキリスト教史』 架神恭介
キリスト教2000年の歴史をヤクザ抗争史に見立てて描く小説

『真実の終わり』 ミチコ・カクタニ
フェイクニュースやプロパガンダがはびこる世界をどう生きるべきか、という評論

『東京ディストピア日記』 桜庭一樹
コロナ禍の暮らしを仔細に綴った体験記

味見したい本』 木村衣有子
食の名著38冊を読むエッセイ集

タイトルとURLをコピーしました