批評を独学している私による、ほぼ私のための超解説です。できるだけ噛み砕いたものを置いていきますので、興味のある方はどうぞ。
今回は映画における演技について。
映画にはいろんな要素があるとはいえ、やっぱり大きな比重を占めるのが「俳優」の存在です。
俳優が登場人物をどう演じているのか、その「演技」は成功しているのか、は映画の見どころのひとつです。
そしてその演技は監督の表現意図と合致しているか。
単なる上手い、下手のジャッジを超えて映画における演技について独学します。
演技が下手というけれど、
上手い、下手のジャッジを超えてー、といっておきながらいきなり下手な演技を論ずるのもナンですが、一般的に言われるな下手な演技を確認しておきます。
・セリフが棒読み
・セリフや身動きが大げさ
・表情が硬い
・ワンパターン
などは演技が下手といわれる要素でしょう。
が、映画は舞台と違い、ダメなら何テイクも撮り直すもの。完成した映画の演技は、演技指導や演出によって「これがベスト」といわれる状態です。監督の表現意図を大きく外れる演技や要求に達しないレベルの演技は”基本的にない”はずです。「監督はこれでOKを出した」という前提で見ていくべきでしょう。
監督の表現意図と合致しているか

私が映画の演技を見るうえで注目しているのは、その演技は監督の表現意図に合っているのか、です。
一般的にリアリスティックな表現スタイルほど俳優の演技力に頼る必要性が増すと言われています。
たとえばロングショットで全身がフレームにおさめられたロングテイクのシーン。上手い演技ではそこにただ立っているだけなのにその「心境」や「背景」までもが見えてくるのです。
*参考映画『カポーティ』(2005年)
立ち姿、しかも後ろ姿だけでゲイであることをわからせるフィリップ・シーモア・ホフマンの演技に注目。
一方フォーマリスティックな表現スタイルでは俳優の貢献度は低くなります。
*参考映画『サボタージュ』(1936年)
弟を死なせた夫に対し殺意が抑えられなくなる、俳優としては演技力の見せどころともいえるこのシーン。が、ヒッチコック監督は俳優(シルヴィア・シドニー)に演技をさせずモンタージュによって「殺意」を表現しています。
内面から沸き起こるようなー、は良い演技なのか 演技論について
このコラムはあくまでも映画を見る立場で「演技」を考えるものです。が、役作りをどうするかという演技論についても少し触れておきましょう。
シェイクスピア劇を頂点とするイギリスの舞台演技は、緻密な観察に基づいて外形(発声、動き、肉体、メイク)を整えていく演技。
これに対し1950年代のアメリカに登場したのが内面を表現する演技法「メソッド演技」です。
ロシアの演出家コンスタンティン・スタニスラフスキーに影響を受けたリー・ストラスバーグが確立した演技法で、伝統的な外側からの役作りを拒絶し、俳優自身の感情と役とが融合されなければならないというもの。マーロン・ブランド、ジェーム・スディーン、マリリン・モンロー、ポール・ニューマン、ダスティン・ホフマン、ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノなどがこの流れを汲んでいます。
が、メソッド演技は俳優に負担がかかり精神不安定になりやすい一面も指摘(M.モンロー、ヒース・レジャーなど)。
メソッド演技の否定派には、ローレンス・オリヴィエ、アンソニー・ホプキンス、ヒュー・グラントなどがいます。
アンソニー・ホプキンスの演技は緻密な観察によって作られているー、というのも改めて驚きです。
どんなタイプの俳優が起用されているか キャスティングについて
俳優をザックリ分けると、同じタイプの人物を演じることを得意とする(好む、求められる)俳優と、様々なタイプを演じる俳優(いわゆる演技派)がいます。
どちらが演技が上手いか、どちらが良い俳優かは一概には言えません。どんなタイプの俳優を起用するか、どのように使うかは監督の表現意図の一部です。
あえて演技の幅のない俳優を起用する、イメージが固定したスター俳優をそのイメージどおりに起用する、逆にあえて壊してみる、こうしたキャスティングが成功しているかどうかも「演技」に関連した見どころでしょう。
最後に私が映画の表現意図とキャスティングにモヤモヤした映画をおいておきます。
今回はここまで。
<参考文献>
『映画技法のリテラシー』 1.映像の法則 2.物語とクリティック
『映画編集とは何か 浦岡敬一の技法』
『アートを書く!クリティカル文章術』
『映画史を学ぶ クリティカル・ワーズ』
『現代映画ナビゲーター』
『シネマ頭脳 映画を「自分のことば」で語るための』
『Viewing Film 映画のどこをどう読むか』